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新‼経済・世相愚問放談

第20章 中国の支那事変当時のアメリカでの反日

衝突はいったん収まったものの、5月8日、軍事当局間の交渉が決裂。日本軍は司令部と城壁に限り、砲撃を開始。安全地帯と避難路を指定したため、南軍は夜陰に乗じて城外へ脱出し北伐を続行した。5月11日、日本軍は抵抗なく済南を占領した。中国側によれば、その際、中国軍民に数千人の死者が出たとされる。藤田栄介青島総領事によると、中国商民らは日本軍の正確な砲撃によって被害のなかったことに感謝していた。

※『岩崎芳夫によると、蒋介石は後にこの事件を日本軍による北伐の妨害であったと非難したとされている』wikiより抜粋


※印でお分かり頂ける通り、蒋介石は日本軍を挑発する為に、わざと事件を起こして居ます

済南・通州事件に関しては、別の機会に詳しく論じます

この後、通州事件や盧溝橋事件に繋がって行きます

日本は散々中国共産党軍や国民党軍に挑発されて居たのです

そしてその頃、アメリカに於て日米離反を画策すべく、中国の反日工作が始まりました

支那事変が勃発する以前は、日米は大変良好な関係でした

青い眼の人形や日本人形の交換交流や日本によるアメリカへの桜友好植樹は有名てすね

地域に依っては教科書に載っておりました

当時列強の一角として頭角を現したアメリカと日本が反共によって連合されるのは好ましくないと考えたソ連・中国共産党は、蒋介石を懐柔してアメリカを中国側に着ける謀略を練りました

これが大東亜戦争への一つのきっかけに成っております

当時のアメリカでの中国による反日は凄まじく、先程の※印の注釈の様に、自分がやらかした事を、さも日本軍による暴虐の様にアメリカ中に触れ回りました

勿論、アメリカ議会へのロビーイングや金・ハニトラ何でもやりました

そして日本は中国の謀略に依って大悪党にされて仕舞い、当時の在米日本人は酷い差別や収容所に収監されるまでになりました

しかも、それ以降終戦後暫く経つ迄、日本人のアメリカ移住や移民は規制されました


さて、お気付きかと思いますが、現在の中国・韓国による反日工作と大変似ていませんか?

以前にも書きましたが、このアメリカに於ける反日工作大成功が、現在の中国・韓国による過激な反日工作の遠因に成っております

実は今も昔も中国とその属国がやる事は微塵も変わっていません

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