彩夏 ~君がいたから、あの夏は輝いていた~
第1章 友達でいたいのに
「…入れない」
「え?」
「私は、甲斐の気持ちには、入れない…だからなぐさめたり、励ましたり、できない」
「なんで?だって広明は野瀬を…」
「『友達』だからだよ」
「おれだって友達だよ?」
「違うの。私は、そんな純粋な気持ちじゃない。もっとずるいよ?あわよくば、っていつも思ってる」
「『あわよくば』甲斐の気持ちに入り込みたい?」
「…うん」
この時私は、渡辺くんには気持ちは隠せないと思った。どんな言葉を以てしても、渡辺くんを前にしたら、真実以外は響かないと。
「帰る?」
「…もうちょっと、いる」
私は、暗くなり始めた教室で、ぼんやりと甲斐のことを考えたかった。自分でもつかみどころのないこの気持ちを、少しでも整理してからでないと、このまま家に帰って家族と普通に接する自信がなかった。
今日知った、甲斐のお父さんが長い間入院していること。
いつも笑顔でいる甲斐とは違う、誰も知らない甲斐。
甲斐にとって、どれだけ甲子園が重い意味を持つのか。
「じゃあ、帰る時言って。おれ、自転車置き場にいるから」
「え…」
「送るよ。もう暗いし。野瀬も、一応女の子だろ」
「あ…うん。ありがと」
そう言って渡辺くんは教室を出ていった。たん、たん、たん…と階段をひとつ飛ばしで降りて行く音が、静かな校舎に響いた。その音が、鼓動と同じスピードで重なった。
しばらくして、自転車置き場に降りて行くと、本当に渡辺くんは待っていてくれた。外はもうすっかり暗く、気温は日中よりもかなり下がっていた。
少し離れた場所からでも、背が高いのがわかる。
「…落ち着いた?」
ぱたん、と携帯電話を閉じてポケットにしまうと、渡辺くんはびっくりするくらい優しい声で言った。いつもの無愛想な感じは全くなかった。ふと、あいつモテるんだよ、と甲斐が言っていたことを思い出した。そうか。仲良くもない女の子でもちゃんと送ってあげるなんて、なかなか誠実だもんね。
「んじゃ、帰るか」
「うん」
がしゃん、と音を鳴らして自転車を出すと、これ、と言って渡辺くんが何かを投げてきた。野球部の子たちはみんな、名前の入った大きなバッグを、練習のない日も使っている。そのバッグに無造作に詰め込まれていたのか、それは丸まったセーターだった。
「冷えるから、着れば?」
「あ…ありがと」