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異彩ノ雫

第69章  intermezzo 朱の幻想 Ⅳ ~月白




船は港へ帰り来る
十五日めの月を映す水面を
すべるように
舳先には黒髪をなびかせる若者ひとり
懐かしき人へ想いを馳せる

── 朱夏さま…




── よき姿であろう、碧(あおい)

優美な舞姿は寿ぐ席の華となる

舞の名手は
星読みの月白(つきしろ)…
船乗りの長として七つの海を渡るもの

朱夏は
今宵に合わせ
帰郷した月白に目を細める
碧もまた その美しさに息を呑みながら
寄り添う朱夏の袂をそっと握る

ふたりの婚礼の宴は
月白の舞にいっそうの熱を帯びて
一同を酔わせゆく


その夜通しの宴のはざま
上気した頬に風を受け
中庭をそぞろ歩けば
碧の前に
月を仰ぐひとつの影が現れる

── 月白さま…

振り向く長い黒髪を
風がとき流す


── 私は幼き頃朱夏さまに救われました

問わず語りに洩れる声

── そして生きる糧と学問を
何より一族の誇りを与えられたのです…

かすかに遠く
ざわめきが聞こえくる

── これより後も朱夏さまを…碧さまを
お守り致します 命に代えても

そう告げる瞳は
月明かりをたたえ
なぜか
涙をこぼす刹那にみえる



── …もう立ったというのか

翌朝の朱夏の声は
ひそめながらも碧を目覚めさせる

問えば月白が
祝いの品を届けに来たその足で
早暁出航した、と

朱夏の指差す方には
遠つ国で織り上げられた
艶やかに精緻な敷物
日輪と花とが朱色に燃えて
ふたりの門出を彩る心尽くし

けれど 何も告げず
船出を急いだ月白に思いをいたせば
碧の胸がかすかに軋む

── 次は館に留め置き離すまいぞ

名残を惜しむ朱夏のおおらかな想いが
胸に眩しい


今 ふたりの背中へ
朝の光が差し掛かる







(了)


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