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堕ちる

第1章 1

江藤さんの成績がどの程度なのか、正直よくわからないが、あまり熱心に勉強に取り組んでいるようには見えないので、取りあえずやさし目な問題を指して訊ねた。

「全然わかんない」

けろりと、笑顔で言う。

「全然ですか?」

「うん」

「じゃあ……これは?」

更にやさしい問題を指して訊ねる。

が、これも「全然わかんない」と返された。

「えっと、どこがわからないんでしょうか?」

「全部。記号の意味もわかんない」

記号の意味──

とても、二年生の教科書では追いつかなかった。

僕は一年生で習ったことを思い出し、自分で問題をつくって訊ねるが、これもダメ。

ならば、その前に習っている問題──

更にその前──

どんどん年代を遡って行く。

結局、江藤さんがそれなりに理解を示したのは、小学生レベルの方程式の問題だった。

つまり、中一の最初から教えて行かなければならないということだった。

これでよく高校に入学し、二年に進級できたものだと、つい思ってしまう。

心の中で苦笑していると、ふと、視線を感じた。

江藤さんが、じっと僕の顔を見つめていた。

「あんたさ、私がバカすぎて、呆れてたでしょ?」

ズバリ、言い当ててくる。

「いや、そんなことは──」

「あーあ、別にいいんだけどさ……本当のこと言うと、そんなに大学に行きたかったわけでもないし」

そうなのか?

だったら、なぜ──

「たださ、高校卒業しても長谷川と一緒にいられたらいいなって思ったから……」

江藤さんは、ごく自然な感じでそう言った。

しかし僕には、なにを言っているのか、さっぱり意味がわからなかった。

『僕と一緒にいられたら』とはどういう意味か?

「ね、長谷川はさ、やっぱり東大狙ってんの?」

「え? はい。それはまあ、一応……」

「そっか……じゃあ、どっちにしても一緒の大学に通うのは無理か……」

意味がわからない僕を置いて、江藤さんはどんどん話を続ける。

「あの──」

「あ、ごめん。消しゴム落としちゃった。そっち転がったから、取ってくれる?」

突然、江藤さんが言った。

消しゴム──

江藤さんはまだ、ペンすら握っていない。

僕は違和感を覚えながらも、とにかく腰を下ろしている、その周辺を見下ろした。

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