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風に吹かれて

第20章 faith

テラスハウスの件。
お亡くなりになった方のご冥福を心よりお祈りします。

他人事ではないです。

失礼ながら件の番組は一度も見たことがないのだけれど…猫飼いであり、ネットの隅っこで文章を公開している身としては、彼女の感じた恐怖と絶望は察して余りある。

猫を撫でながら、誰にも言えない気持ちをやっと言葉にして涙を流しただろうし。

このコを置いて行けないと自分を奮い立たせて、なんとかその日を堪えて。

遂には自分より他にこのコを愛してくれる人がいる、とか。

いっそ一緒に連れて行こうか、とか。

確実な手段を探しながらの葛藤の果てに、小さな猫の幸せと自分の幸せは決してリンクしないと、恐らくは思い定めたんだろうな…。

ほんとに涙が出る。



痛ましい事件が起きる度に、いろいろ考える。
義務、と言っては言い過ぎかもしれないけど。

同じ時代に、同じ社会に、大人の端くれとして所属している限りは。
せめて感じるだけで終わらせるのではなく、深く考え、選択する責任があるように思う。

物事は善悪では計れない。
何が善で何が悪か、神様でもないのにどうして決められるだろうか。
ましてや他人を断罪するなど到底出来ない。
そんな資格は誰にもない。

私はこう感じる、と感情を吐き出すだけで終わらせないで、それなら私はどうするの?まで。

しっかり感じないで、スグに吐き出してぶつけるから、結局繊細な人が的になって壊れてしまう。

難しいのは良くわかる。
誰だって嫌な気持ちになりたくない。
自分がそれに対して何故嫌悪感を持つのか、内省出来る胆力は、一朝一夕では身につかないものだ。
苦しいから、吐き出さなくては潰れてしまう人がいるのも知ってる。

ならば、出来る人が支えるしかない。
どんなに遣り切れなくても。



感情に飲み込まれずに、ちゃんと感じ切って。
考えて。
自分はこう思った、だから、これはやらない。
だから、これをやろう。
しっかり自分の中で基準を確立して、選ぶ。
決める。

何も大袈裟なことじゃなくて。
誰かに微笑みかけるとか、落とした物を拾ってあげるとか、何てことの無い行動の根っこにあるもの。
温かな優しさの大元にあるfaithは、感情の垂れ流しでは得られない。



いつか靴底で踏みつけたfaithをもう一度。

今日も明日もSmile again。



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