小学校の記念誌。
第3章 半年後。
臨時休校からシームレスに春休みが始まり、年度が変わって新学期。やっと学校が始まったと思ったら再び長期の臨時休校。
もちろん、実行委員会も全く開催できず。
「このまま周年記念事業自体が無くなるんじゃ??」
な~んて思い始めていた頃、学校から「実行委員会開催のお知らせ」を息子が持って帰ってきたのは、最初の実行委員会から半年後の、8月末でした。
「……間に合うのかな? いろいろと…」
不安を抱えたまま、委員会に出席しました。まだ何も決まっていない、何も出来ていない状況で、既に8月末です。
行くと、今年度のPTA副会長で、実行委員会の副委員長もされている方が、記念誌の担当長になってくださるということで、紹介されました。執行部の役員さんということで、学校側と一緒に打合せする時のスケジュール調整や印刷会社さんとの連絡窓口などもしてくださるとのことで、心強いリーダーが加わって、いよいよ記念誌づくりの具体的な話が始まりました。
その後、最初の記念誌担当者会議を、記念誌担当3人+校長先生の計4人で開いた時、参考資料として、前回(5年前)の創立40周年記念誌の、予備を、校長先生から見せていただきました。見るだけのものだと思っていたら
「校長室にたくさん余ってるから、さしあげますよ」
…なんと、貰ってしまいました。
もちろん、実行委員会も全く開催できず。
「このまま周年記念事業自体が無くなるんじゃ??」
な~んて思い始めていた頃、学校から「実行委員会開催のお知らせ」を息子が持って帰ってきたのは、最初の実行委員会から半年後の、8月末でした。
「……間に合うのかな? いろいろと…」
不安を抱えたまま、委員会に出席しました。まだ何も決まっていない、何も出来ていない状況で、既に8月末です。
行くと、今年度のPTA副会長で、実行委員会の副委員長もされている方が、記念誌の担当長になってくださるということで、紹介されました。執行部の役員さんということで、学校側と一緒に打合せする時のスケジュール調整や印刷会社さんとの連絡窓口などもしてくださるとのことで、心強いリーダーが加わって、いよいよ記念誌づくりの具体的な話が始まりました。
その後、最初の記念誌担当者会議を、記念誌担当3人+校長先生の計4人で開いた時、参考資料として、前回(5年前)の創立40周年記念誌の、予備を、校長先生から見せていただきました。見るだけのものだと思っていたら
「校長室にたくさん余ってるから、さしあげますよ」
…なんと、貰ってしまいました。