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あの店に彼がいるそうです

第9章 俺は戦力外ですか

 名義屋騒動以降客は一時減ったものの月末の一日は激忙だった。
 そういえば、秋倉の店で中毒になった女性たちは皆、栗鷹診療所とその連携病院で介護されているらしい。
 きっと彼女らも一生シエラのお得意になるだろう。
「ロゼ運んでくれ」
「おい。早く三番代わってこい」
「注文間違えてたぞ。気をつけろ」
「稼いでるか、宮内」
「チーフ……」
 トレイの返却に向かう途中で篠田に声をかけられる。
 相変わらず愉しそうに店内を眺める。
 俺の恰好を一秒で確認して、自分の首元を指さした。
 シャツの襟が乱れていたのに気付く。
「すみませんっ」
「そのうち雅もフォローしきれなくなってくるからな。自分で動けよ」
「それって……」
 篠田が顔を近づける。
 類沢とは違うフレグランスの香りがした。
 それから囁くようにこう言った。
「お前の研修期間は今日で終わり。明日からは一人前のホストとして振る舞え」
 心臓がバクバク鳴る。
 そうだ。
 色々事件に流されていたが、もうここに来て三週間になる。
 派閥だって見えてきた。
 働かなきゃ。
 自分の力で。
「とりあえずは……」
 篠田が身を離して首を摩る。
「蓮花以外の客を取ることだな」
「あ……は、はい」
「返事」
「はいっ」
 忘れていた。
 俺には指名客がいないことを。
 蓮花さんだって最近見ていない。
 つい店の中央の類沢に目が行く。
 傍らには、俺なんかが一生触れられないブランド品に身を固めた上品な女性。
 テーブルに並んだボトル。
 にこやかに話を盛り上げる余裕。
 誰もが認めるトップの振舞い。
 今朝のドライブを思い出す。
 何人助手席に乗せて心を奪ってきたんだろう。
 想像もつかない。
 そして、同時に思う。
 なんで俺なんかに目をかけてくれるんだろう。

 気に入った。

 その一言だけが俺と類沢さんを繋いでいる。
 もし、いなくなったら?
 どうなるかなんて考えたくもない。
「おいおい。あいつを手本にするのは勝手だが、見とれてないで仕事しろ」
 立ち尽くしていた俺の肩を叩いて、篠田は奥に消えた。
 チーフだって……
 アカや千夏もいるけど、晃だっている。
 俺は類沢さんがいなければ、店に入ることすら出来ないかもしれない。
「こんなんじゃダメだ」
 小さく呟いて、トレイを置いた。

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