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あの店に彼がいるそうです

第10章 最悪の褒め言葉です

 電話を置いた鵜亥が汐野を見る。
「なんだ」
「なんもー」
 そう言いながらニヤニヤ顔を歪ませて事務作業に戻る。
 書類を捲る音が響く。
 目線がまだ自分に注がれているのを感じて汐野はため息交じりに言った。
「随分あのガキにご執心なんやねー」
 それが妬いてる少年のような口調だったから可笑しい。
 煙草に火を点ける。
 一度煙を味わった汐野の手からそれを奪う。
「仕事中は吸うなと言っただろ」
「はいはい……あっ、医師チームは午後八時に着くみたいやで。あっちの病院も用意出来たって」
「そうか」
 煙草を二回ほど回してそれを咥える。
 宮内瑞希に話した内容に偽りはない。
 その派遣費は秋倉との契約で事前にとってある。
 虚偽を使って相手を貶めることはリスクが伴う。
 特に運び屋、売人を使うとなると品物に責任をとってもらうには法を犯しているものも公表しなければならない。
 運び屋……
 嫌なことを自分で思い出したことに嫌悪する。
「拓ちゃんは」
「あ?」
「うおっ、なんや。怖いわ、鵜亥はん」
 つい声に出てしまったようだ。
「ああ……シエラの拓のことか」
「それ以外に誰がおんねん……あ。また思い出してん」
「黙るか死ぬか?」
「怖い怖い。で、その拓ちゃんが手術立ち合いたいどうとかはあっちに任せていいんか」
「ああ」
 どうでもいい。
 そんな響きを匂わせて。
 あの宮内少年以外は眼中にないんやな。
 言葉に出したらまた怖そうやから言わんけど。
 汐野はまた書類に取り掛かる。
 ぴたり。
 その指が止まる。
 眼中にない……

 おれも、か。

 黒い瞳が揺れる。
 ふっと汐野は小さく笑いを漏らした。
 アホやな。
 おれ。
 ほんまに。
「汐野」
「はい?」
 歌舞伎町のホストの資料を眺めながら鵜亥が指を紙に這わせて言った。
「なんで恵介は№にまで入ってるんだ」
「囮捜査でマジにヤクザになる警官もいるゆうことやないの」
 恵介の写真を親指でなぞる。
 その眼は暗く乾いていた。

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