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あの店に彼がいるそうです

第3章 体を売るなら僕に売れ

 え?

 びっくりして目を開ける。
 眼を瞑った類沢の顔がある。
 頬に手を添えられ、短いキスをされた。
 見てはいけない気がして、俺はまた目を閉じた。
 下唇を名残惜しそうに甘噛みして、類沢は離れた。
 吐息が聞こえる。
 泣きたくなるような、優しい口づけだった。
 それから寝返りを打つ音がして、そっと盗み見すると、彼は背中を向けて眠っていた。
 さっきまでの距離が嘘のように。
 違う緊張が早鐘を打つ。
 やっぱり。
 そんな感情がこみ上げる。
 あの日、キスをされたこと。
 口移しでお酒を飲まされたこと。
 全てが蘇る。
 警告じゃない。
 諭すように。

 類沢は

 俺を

 恋愛対象として見てるんだ




 一睡も出来ずに出勤の時間がやって来た。
 勿論、演技は続いていたから類沢はニッコリと「よく寝てたね」なんて言ってくる。
 いえいえ。
 あなたのキスも覚えてますよ。
 そう茶化したくなるが、出来ない。
 俺は伸びをして頭を抱えた。
 なんなんだ。
 どうすりゃいいんだ。
 スーツに着替えた類沢を目で追う。
 今からセットするんだろう。
 少し乱れた髪が妖しさを増している。
 綺麗、だなぁ。
 後ろ姿に見とれる。
 それからまたうなだれた。
 どうすりゃいいんだ。
「早く着替えなよ」
 そう急かされるまで、悩んでいた。
 
 化粧を施して貰う時間が苦痛だった。
 自分でやると言っても、類沢は許さなかったのだ。
「慣れない化粧で出るのは見苦しい」
 そう一蹴された。
 その代わり、今度教えるから。
 そう飴もくれて。
 屈んで俺の唇に薄くグロスを塗る類沢は、どんな気分なんだろう。
 俺はイヤでもキスを思い出す。
 赤くなってないかと焦るほど。
「動かないで」
 だが類沢は冷静そのもの。
 なんなんだよ。
 なんで俺が焦る必要があるんだ。
 もう混乱が耐えない。
 セットした髪をクシャクシャにしたい衝動を抑えて、洗面所を出た。
「はい、これ」
 さんぴん茶を渡される。
「頭スッキリさせた方がいい。ずっとここに皺が寄ってる」
 ここ、と眉間を指す。
 誰のせいだと……
 俺はお茶を飲みながら呆れる。
 ペットボトルを見て溜め息を漏らす。
 なんだよ、さんぴん茶って。
 その響きすら苛立たしい。
 

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