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あの店に彼がいるそうです

第3章 体を売るなら僕に売れ

 朦朧とした意識の中で、類沢が呼んでいる。
「……ずき、瑞希?」
 頭がガンガンする。
 なにも見えない。
 なんでだ。
 ペチペチ音がする。
「起きろ」
「悠、優しくしたげなさいよ」
「そろそろ起きるわよ」
 あぁ。
 目、閉じてたんだ。
 瞬きする。
「おはよ」
 類沢の穏やかな顔があった。
 急いで跳ね起き、また額をぶつける。
 頭を押さえ、体を曲げる。
 隣で類沢も額に手を当てていた。
「……瑞希は相当恨みがあるみたいだね」
「ちちちち違うんですっ! すみませんでした類沢さん!」
「ふ、ふふっははは……なにそれ、かわいいー! 良い新入りじゃない」
「鏡子、笑いすぎると皺が増えるわよ」
「うるさい、蓮花」
「あらあら……」
 ガンガンする頭を無視して周りは盛り上がっている。
 すっと悠が濡れたタオルをくれる。
 冷たくて、気持ちいい。
「痛みは引いたか?」
 そうだ。
 治療の余りの痛さに気絶したんだ。
 悲鳴を上げたら格好悪いとか考えて、我慢してたら気を失って。
「多分、引きました」
「明日には傷も塞がってるだろ」
「ありがとう、ございました」
 類沢が頭を撫でる。
 見上げると、優しい笑みを浮かべていた。
「安心したよ」
「俺もです」
 これで、仕事も出来るってものだ。
 指名とって。
 借金返して。
 ピタリ。
 思考が止まる。
 借金返して……
 類沢を見つめる。

 この人と、会わなくなるんだ。

 そんな当たり前の結果。
 動揺する方がおかしい。
 なのに。
 なんで。
 嫌だ。
 なんで。
「類沢、さんっ」
「ん? ナニ?」
 変わらない笑顔。
 営業スマイルと紙一重だが、心の端を見せてくれる飾らない笑顔。
「や、やっぱり……いいです」
「ふぅん」
 類沢は悠の方に近づき、いつも通りにと代金の振り込みを報告した。
「三十万はぼったくりよぉ」
 鏡子は責めるわけでもなく、ただからかうように云う。
 それをわかってるんだろう。
「お前の酒代にもなりゃしない」
 悠も薄ら笑いながら返事をした。
 俺は地面に足をつき、ふらつきながらも立ち上がった。
 そして、手洗いの場所を尋ねた。
 廊下の奥に歩いていく。
 トイレの手前に、小さな洗面所があった。
「はぁ…」
 うがいをし、気分を鎮める。
「お悩み?」

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