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あの店に彼がいるそうです

第1章 噂を確かめて

 拳を強く握りすぎて、柔らかな手のひらが食い込まれ痛い。
 それから呼吸も辛い。
「何歳?」
「はい?」
「今何歳かって訊いてるんだけど」
「あっ……えと、二十歳になったとこですけど」
 語気と口調がテーブルにいた時より随分強くなった類沢に萎縮してしまう。
 上品さは消え、威圧的な妖しさだけが場に放たれている。
 怖い。
 年上とかいう次元でなく、素姓が理解できない彼が怖い。
「ふぅん。一人暮らし?」
「そ……うですね」
 次に何を云われるのか、そればかり気にしている自分がいる。
「バイトは?」
 なんだか面接を受けている気分だ。
 ただ、面接官がこちらに背を向けているという違いがあるだけで。
 なんか、大学の面接より緊張する。
「一応、コンビニを」
「辞めて」
「え」
 類沢が肩までの髪を揺らしながら振り返る。
 見たことのない鋭い目が、自分を睨みつけてきた。
「辞めて。明日中に」
「なん……」
 何で?
 何言ってんだ。
 そんなのわかっている。
 俺の気持ちを見抜いたのか、彼は目を細めて小さく笑った。
「そうだよ。働いて百万稼いでもらうよ」
 今日、俺はホストになった。
 あの、未知の世界に踏み入れた。

 酔いつぶれた河南を家に送り届けてから、俺は事情をかいつまんで説明した。
 酔った冗談だと思ったのか、河南はニヤニヤしながら了承した。
 俺の頭痛も知らずに。
 頭が痛い。
 アパートに帰ってから俺は床に座って、頭を抱えた。
 セットした髪が萎えてるのを感じ、余計に気が滅入る。
―辞めて。明日中に―
 嘘だろ。
 やっと得たバイトなのに。
 しかし、百万を稼げるバイトじゃない。
 多分、ホストの十分の一にも満たないだろう。
 その事実に、少し切なくなる。
 だが、ホストになることに何の高揚も覚えない。
 何より、その原因が重すぎるのだ。
 百万。
 稼ぐにはどうしたらいいのか。
 ルイとかいう酒を売れば、すぐに解放されるんだろうか。
 だったらひと月もかからない、か。
 いや、そんなに甘い世界には思えない。
 頭に爪が食い込む。
 明日、店長になんて言い訳しよう。
 「ホストクラブで酒割っちゃって、その弁償に百万いるみたいなんです」なんて信じてもらえるか。
 あぁ-……頭が痛い。

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