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『春のにほひ』

第1章 沈丁花の咲く頃…

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『明後日からの三連休は、まるで春の陽気になる予報で………』
 駅前のビルの大型ビジョンが、そんな天気予報をアナウンスしていた。

「ふぅ…」
 そうか、もう春が近いのか…
 まだ二月だと思っていたのだが、気付くとバレンタインが過ぎ、街角には白い早咲きの梅がちらほらと見受けられる。

「あ…………」
 その時…
 一瞬、僕の鼻腔の記憶が騒つき、揺らいだ。

 あ、これは、この香りは…
 あの人の香り…
 そう、甘い『沈丁花』のにほひ…

「ん…」
 僕は、すれ違い、通り、行き過ぎていく人並みを振り向く。

 だが、もちろん、あの人はいない…

「ふうぅ…」
 きっと近くに、沈丁花が咲いているのだろう…
 沈丁花 の甘さは、夜に濃くなる…

「まったく…」
 僕はそう呟き、ふと夜空を見上げる…
 そこには、上弦前の細く鋭い三日月が冷たく煌めいていた。

 毎年、この時期に、この沈丁花の香りを感じると…
 決まってあの人のことを想い浮かべてしまう。
 
 僕の心の奥に深く刻まれた…
 青春の青く、蜜の記憶…
 そう…
 沈丁花の甘く濃いにほひ…
 あの人の香り…

 千里(ちさと)さんのかほり…………



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