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硝子の挿話

第24章 雨の下

 泡沫のように儚い水面に浮かぶ。月のような切ない一刻を、ティアの後ろでタルマーノはただ両手を固く握り、強い感情を抑え殺していた。

 互いに気がつかない。
 お互いの気持ちを空から降り始めた雨だけが見ている。どれほどこの感情に振り回されているか。タルマーノは強く両手を握り締めた。


 今すぐ、抱きしめたい。


 その感情を押し殺す術を、身体を動かすことで発散していたが。目の前で儚く遠く「消えたい」と呟く姿を見て抱きしめたいという気持ちを伏せているのが辛くなる。髪を湿らせるように心を湿らせるこの小さな身体を抱きしめたい。

《出来ない…》

 理性で押さえなければ、抱きしめるだけでは済ませられない自分をタルマーノは知っていた。
 臆病なくせに大胆で、泣き虫で照れ屋で子供のまま―――何ひとつ大人になっていないのに、大人であることを強制され続けるティアを、この両腕に抱きしめられたらどれだけいいだろう。
 タルマーノにそれは赦されていない。騎士と神子が恋仲になることに関しては、全て神殿において固く強く禁じられていた。
 その理由はとても簡単な物で、歴史書の紐を解けば記されているのだ。
 遠い昔にあった史実として残される『堕ちる暁光』という章に纏められていた。

 遠い昔。

 一人の太陽を抱く姫神子は、自身を守るべき騎士と恋に落ち、その果てに大災害に招いた故に処刑されたという話。―――それがあるから、どの神殿でも掟となっているのだ。
 ただ巫女は、具現の力を持たない故に騎士との恋も。またどんな恋であろうとも、許される自由があったのだが。

「早く戻りましょう」


 一刻も早く、強く願う気持ちを悟られる前に、扉の向こうへ押し込めたい。扉で隔てられた世界なら、胸の内にある願いを叶えられる。

「ええ…」

 そう言って髪をかきあげ、振り返って小さな笑み見せた。
 ティアの全てを欲しいと願うのは、エゴであり裏切りだ。

「雨は嫌い…?」
「いいえ、雨は嫌いになれません」

 ティアの心情をそのまま映え映す姿。愛しいと思いこそすれ、嫌うなどタルマーノには考えられない。

 少しでも長くこうしていたい。
 少しでも早く離れたい。

 二つの気持ちは分解と融合を繰り返し、今日もタルマーノの心を焼いていくのだ。


おわり

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