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小春食堂【ARS】

第32章 鱧の照り焼き【智】

「俺は京都ではアパート暮らしだったけど、同級生で旧家の奴がいてね。そいつの家に泊まりに行ったとき出してくれたんだ、鱧の照り焼き。」

女の人は、相変わらず俺をじっと見つめている。
「お姉さん、京都の人?」

女の人は、黙ってうなづいた。

「あの、俺の顔に何か付いてます?」

「…いえ。」

女の人は、カウンターの向こうの厨房に消えて行った。

「変なの…。」


俺は、料理を食べ終わり手洗いに立った。

手洗いから出ると、壁に一枚の絵が飾られているのを見つけた。

鉛筆スケッチだった。
和服姿の女性が描かれている。

「あんま上手くねーな。」

俺は苦笑しながら見た。

席に戻ろうとして、絵から目をそらす瞬間、何気なく見た絵のすみにかかれたサイン。

「これ…。」

「小春ちゃん、ごちそうさま!」

俺の他にもうひとりいた客が声をあげた。

カウンターの奥から女の人が出てきてお勘定をし、客を玄間まで見送った。

ガラス戸を閉め、こちらに戻ってきた女の人の腕をつかんだ。

女の人は、驚いた顔で俺を見た。

俺は構わず言った。

「あの時は、あんがと…。」

女の人は、みるみる顔をくしゃくしゃにして、ぽろぽろと泣き出したんだ。

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