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NAHEMA

第1章 Prologue

 「ねぇ、翔。
  このバラの香り、素敵。」


広大な敷地の中、所狭しと並べられたバラ苗の中から、妻は薄いピンク色の花を指差す。


 「色もかわいいじゃん。
  いいんじゃない?」


庭にバラを植えたいと言い出した妻に無理やり付き合わされた、バラ園。



休みの日くらいはゆっくりと過ごさせてくれよ。
結局一人で先に行くなら、俺が一緒じゃなくたって、いいじゃないか。



心の中で悪態を付きながら、一服できそうな場所を探していたとき。

それまで俺などそっちのけでバラの間を歩き回っていた妻が突然振り向いた。


 「ほら。
  翔も香りを嗅いでみて?」


これも妻を喜ばせるため。

たまには家族サービスも必要だと割り切って。

仕事で身に着けた営業用の笑顔を慌てて顔に貼り付け、
俺はその美しいバラに鼻を近付けた。


 「ね?
  いい香りでしょ?
  このバラ、ナエマっていう品種みたい。
  ゲランの香水から名前を取ったんですって。
  通りですばらしい香りな訳よね。」


妻はしゃがみこんでバラについたタグを読み上げていた。





ナエマ…





その懐かしい響きにその場から離れようとした体を、もう一度その美しい花に寄せ、
そのバラの香りを大きく吸い込んだ。

その香りは、
濃厚で甘いゲランのナエマとは似ても似つかなかったけれど。

その酔ってしまいそうなほど強い香りとその完璧なまでに美しく象られた容姿は。



もう、何年前になるだろうか。



彼女との、
濃密で、
でも短かった恋を思い起こさせた。

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