甘く、苦く
第73章 磁石 【move on now】session 5
「ただいまー…」
重たい体を引きずるようにして
廊下を歩いた。
「おかえりっ。」
「わっ、」
リビングに入った瞬間、
抱き着かれて後ろに仰け反った。
「…腰っ、腰があっ…!」
「ぁ、ごめんね?
大丈夫…?」
しょんぼりとする二宮の頭を撫で、
微笑みかけてやる。
「大丈夫、それより、ご飯は…?」
「ぁ、あのねっ、ビーフシチュー作ったの!
翔さん好きだよね?」
くふふ、って笑いながら
お皿に持ってあるそれを指さした。
「ふーん、二宮やっぱ料理うまいんだ?」
「えへへ。……だって、」
長い沈黙のあと、
ちょっと真剣になった二宮が
「翔さんのお嫁さんに、
なるんだもん。」
だなんて。
そんなの、反則──…だろ。
握られたままの右手に左手を重ねる。
びっくりして顔を上げる二宮に、
俺は照れ臭いほどの感謝を込めて。
「二宮がいてくれてよかったよ。
ありがとう。」
「──────っ」
口にした言葉に、
二宮は喉を引き攣らせるような
呻きを漏らした。
それから二宮は、
ぽっと頬を赤く染めて、
「…俺、翔さんに認めてもらいたくて…
ずっと、頑張ってたから…嬉しい…。」
…言いたいことがすべて伝わったことで、
自分の心が満たされた。
「…でも。」
それでも尚、
二宮は俺の言葉にすんなりとは
頷いてくれはしないみたいで。
とかく、人を納得させるのは難しい。
自分を納得させるのは
こんなにも簡単なのに。
二宮の場合、
それこそ長年に渡ってその感情を
持て余し続けてきたのだから、
心のしこりの固さも筋金入りだ。