
甘く、苦く
第88章 大宮【In Fact.】
「ただいまぁ」
脱ぎ捨ててある革靴。
智が帰ってきている証拠だ。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「…おー、おかえり」
「あ、ごめんね?邪魔しちゃった?」
色鉛筆を動かす手を止めて、
俺に微笑みかけてくれた。
智が書いていたのは、…俺だ。
でも、見てないふり。
「ねえ、なに食べたい?」
「んー…おいしいもの」
「くは、なにそれ。大雑把すぎ」
「…なぁ」
「ん?」
智がコタツから出てきて、
俺を後ろから抱き締めた。
背中に欲しかった体温を感じて、
幸せに浸った。
「んー?どーした?」
「…欲しい」
「…え?」
「今日はカズが欲しい」
「ばっかじゃないの、ほら、離れるー」
子供を諭すように、
智の腕を撫でた。
それでも離れてくれないし、
抱く力は強くなる一方で。
「…なに、なんかあったの?」
そう聞いても、
何も答えてくれない。
「どーしたのさ」
向き直って、
正面から智にぎゅっと抱きついた。
汗の匂いと、智の匂いがした。
「…なんでもないよ」
「なんでもないわけないじゃん。
なに、俺に言えないようなこと?」
智の肩におでこをくっつけて、
はあー、と溜め息をついてみた。
「そんなんじゃねえけどさ…」
「じゃあなんなの。
智にしては珍しいじゃん。
そっちから誘ってくるなんて」
だっていつも、
智からの愛を欲してたのは俺だったから。
