煩悩ラプソディ
第43章 双星プロローグ/AN
キーッとブレーキ音を鳴らし目の前に止まった自転車。
その音に顔を上げれば、サドルに跨ったままはぁはぁと息を切らす雅紀の真剣な顔があった。
「かずくん…大丈夫?」
自転車を停めて屈み込んだ雅紀と目線が合う。
揺らめく瞳には心配の色しか見えなくて。
今すぐにでもこの胸に飛び込んでしまいたい衝動をぐっと堪え、精一杯の笑顔を作って応える。
「…大丈夫だよ。んな慌てて来なくても良かったのに」
「慌てるに決まってんじゃん。かずくんがまだ帰ってきてないって知ったら」
「そんなの…友達と会ってただけだって…」
「それでも心配なんだよ俺は。かずくんのことが心配なの」
その後に続く言葉を勝手に頭の中で再生する。
"家族だから"
きっと雅紀はそうに違いないんだから。
だからさ…
もうあんま期待させないでくれるかな…
真っ直ぐなその瞳を見ていられなくてそっと視線を外した。
それでも尚見つめられている気配に居心地の悪さを感じ始めた矢先。
突然体が引っ張られて。
っ…!
驚く間もなくよろけた体は、雅紀によって抱き留められた。
「全然大丈夫じゃないじゃん…何があったの?」
包まれた途端に感じるぬくもりと心地良い声。
ぎゅうっと力の込められる腕はまるで加減なんかないけれど。
それでも、今の俺にとっては泣きたくなるくらい苦しくて嬉しかった。
後頭部をぽんぽんと撫でる大きな右手も、ブレザー越しに背中を摩ってくる左手も。
トクトクと伝わってくる雅紀の鼓動も何もかもが。
錆びついて動かなくなった俺の心に潤滑油のように温かく流れ込んできて。
「…どうしたの?何があった?」
だめだ…言っちゃいそう。
「言えないこと?俺には言えないことなの…?」
今じゃない。
これは今じゃないから…
「かずくん、俺ね…
かずくんのこともっと知りたいんだ…」
耳にぴったりとくっつけられた熱い頬は、俺のものか雅紀のものか。
「俺…かずくんのこと凄く大事なの。
守りたいんだ、俺が…」
リズムを刻んでいた手が動きを止め、ぎゅっと抱き締められ。
「好きなんだ…かずくんのこと…」
シンと静まりかえったこの空間で。
雅紀のその言葉はしっかりと俺の耳に届いた。