例えばこんな日常
第12章 まさかの大誤算/AN
「あ、うん、ここだけでいいから、そう」
短いけど一番重要なセリフだけを言ってもらうように伝えて、台本をテーブルに置いた。
正座をしたにのがじっと動かずに俺を見つめる。
その顔はどこか強張っているようで、やっぱり雰囲気を作らない方がうまくいきそうな気がして。
「…ねぇ、一回ちゅってしていい?」
「は?」
突然の提案に目を丸くして反応する。
そうだろうね、だけど。
「軽くやって、そのままの流れのほうがいい気がする」
俺が真顔で言うもんだから、首を捻りながらも承諾してはぁっと息を吐いた。
「…はい、もう好きにしなよ」
そう言うと、膝に手を置き目を閉じて。
心なしか唇を少し尖らせて待つにのに、自分が提案したクセに急にどきどきしだした。
ふうっと一度息を吐いてから『いくね』と言って体を寄せると、気配を感じたにのが一瞬きゅっと肩を竦めて。
形の良い薄い唇にゆっくり近付いて、正面からちゅっとくっつけてみた。
触れるだけのキスに加え、鼻と鼻が触れ合う感覚にお互いに笑いが込み上げる。
「…んふふふ」
「んふっ、こら…」
「…もう開けてい?」
「待って、まだ」
薄目を開けていたにのを制して、頬をそっと包み込んだ。
火照った耳も包むように撫でれば、ぎゅっと目を瞑ってこそばゆさに耐えているよう。
「んっ、ふふっ…」
「…するよ?」
「…ん」
少しの間のあと、鼻にかかった声をひとつ漏らして。
間近で見るにのの顔はきめ細かな綺麗な肌を纏って、閉じられた先の睫毛はふるふると震えている。
「…好きだよ、」
台本のそのセリフをぽろっと口にした途端、自分の声が音として耳に伝わって体の芯からどくどくと何かが込み上げてくるのが分かった。
あ…
そして、泉のように湧き出てくる感覚に追われるままに、包んだ頬を上に向かせて顔を傾ける。
その可愛らしい唇にゆっくりと自分のものを重ねると、堰を切ったように愛しさが溢れてきて。
深く口付ければ、驚いて顔を引こうとするのをしっかりと包み込み。
にのの手が俺の腕を弱々しく掴むけど、それは抵抗なんかじゃなくて。
「んっ…」
小さく吐息を漏らしてするりと手が離された瞬間、自分でも困惑するくらいにのが愛おしくて堪らなくなっていた。