例えばこんな日常
第29章 オペ室の悪魔と病室の天使/AN
《悪魔に魅了された男》
ここは、地方の大学病院としては名立たる功績を持つことで知られる東城大学医学部付属病院。
中でも特に『心臓血管外科』の分野は、世界的にも極めて優秀な技術を誇ることで有名である。
その名を欲しいままにしている所以は他でもない、総合外科学教室の教授として佐伯清剛が君臨しているからだと言えよう。
彼の手に掛かればどんな難解な手術も成功に導ける、まさしく世界に類を見ない術式「佐伯式」の生みの親であり、この術式を行える者は世界に佐伯ただ一人しか居ない。
佐伯にオペを依頼する患者は後を絶たず、心臓血管外科病棟は常に満床といった状況。
それに、佐伯の元を訪ねてくるのは患者だけではない。
彼の手技に憧れて医師を志す若き研修医も少なくはないのだ。
現にこの佐伯外科には初期研修医として数名の研修医が配属されている。
世良雅志。
彼も佐伯外科に自ら志望して配属となった研修医の一人である。
しかし、医療に対して人一倍熱意を持ったこの青年の医師への道のりは、とある指導医の出現により出鼻を挫かれることとなるのであった。
「渡海先生っ!渡海先生っ!」
今日もまた、新人研修医世良の叫び声が医局内に響いていた。
そこに居る全員の日常の一部となったこの光景に、最早誰一人として反応することはない。
「やっぱりあそこか…」
髪をくしゃりと掻き上げながらその端正な顔を歪ませる世良は、迷うことなく医局の奥にある『仮眠室』のドアを開けた。
二段ベッドが並ぶ薄暗い部屋の奥。
窓からの陽光だけが差し込むその場所に世良の探す人物は確かに居た。
しかし。
「…渡海先生」
書類や日用品が乱雑に置かれているテーブルの側、とても寝心地が良いとは思えないそのソファで渡海は寝息を立てている。
これまで幾度となく見てきたこの光景に、世良はまた一つ溜息を溢した。
「…渡海先生起きてください。もうすぐカンファレンス始まりますよ」
ソファの背面から呼び掛けても微動だにしない塊。
この景色に世良はにわかに違和感を覚えた。
普段なら頭から爪先までブランケットで覆われて、かくれんぼのようにその姿をくらましているこの渡海が。
今日は無防備に寝顔を晒して眠っていたからだ。