
異彩ノ雫
第56章 intermezzo 朱の幻想 Ⅲ
海が
明けゆく空を映し
紅に染まる
朝風に立つ朱夏の髪が
波の色ととけあい流れる
── 星夜…
もう三年たつか
あの夜のそなたの言葉 まさに…
せいや……
鬼の頭領は遥かを見つめる…
夜更けて降り始めた雨は
峠を歩く星夜を
激しく打ちつける
── 朝を待つのが得策だったか…
一瞬の迷いが足元を見失わせ
星夜の体は崖下の闇へ飲み込まれた
── ここは…?
── まだ動いてはなりません
頭上より注がれる凛とした声
涼やかな目元の娘が
星夜の碧い瞳を覗きこむように
微笑んでいた
たちまち
彼の胸に熱く揺らめく火がともる
── そなた…名はなんという?
俺…は、星夜だ
体中の痛みをこらえる荒い息
はだけた胸元から
星夜の熱が立ちのぼる
浮かぶ汗を拭う娘は
城へ召された父に代わり
医者の真似事をしている、と頬を染める
── さやか、明と書くのです…
その名を幾度も繰り返し
星夜は心に刻み付ける
不運の中の幸福
傷が癒えるまでの半月は
ふたりの想いが通う時
── あの月が満ちる夜 必ず戻る
さやか…俺を信じどこへもゆくな
仔細は告げず 鬼の隠れ里へと向かう星夜
遠ざかる背を見つめながら
娘の心は揺れ動く
── 信じましょう
愛しいあなたの帰る日を
けれど…
刃のような月が梢にかかり
風がひと吹き
娘の頬を撫でてゆく
(つづく)
