
異彩ノ雫
第56章 intermezzo 朱の幻想 Ⅲ
隠れ里の闇はしじまを抱く
屋敷の縁で憩う
星夜と朱夏の杯に真珠色の月が揺れる
── 子供の頃
よく二人で悪戯をしたものだな
朱夏は思いを巡らせ
幼馴染みの杯を満たしながら
ふと、口許を綻ばせる
── そのたびに
お目付けでついていながら、と
俺が真っ先に叱られたものだ
が、愉快な日々だった
晴れやかに笑う星夜の
遠くを見つめる眼差しが
朱夏の胸にせまる
── ゆくのだな…
風がひときわざわめき立った
── …俺は人の世を生きる
そなたは宿命に抗うな
この地こそ、そなたの生きるに相応しい
喉を上げ干した杯を朱夏に差し出し
── ひとつ教えておこう
恋に一途は我が一族の血筋
朱夏、心せよ
艶然とした笑みに
裳裾を翻す後ろ姿
振り向くことないその背中が
月明かりの中遠去かる
杯を手にしたままの
濡れた吐息が夜を揺らす…
── 朱夏…何を今お心に?
── そなたを会わせたい者のことを…
碧、限りある命を生きる人の世も
愛しいものだが…
抱き寄せる朱夏をその瞳に映し 碧は微笑む
── 私には
朱夏と共にある時間であれば
短くも長くも 煩うものではありませぬ
時は満ち
新たに昇る陽がふたりを包む
(了)
