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私の思うこと

第25章 雑談③(実質④)。

専門学校に通っていた私が言うと、お前ちゃんと勉強していたのかと言われなくもない気がするが、あの、物との距離を測る技法。


正直、やる意味あるのかなー、と。


鉛筆を顔の前に出して上下させるやつ。あれ、パースがどうのこうのと説明はされたのだけれど、いまいち分からなかった。


というか、専門学校、いや、学校自体で、習ったことって、記憶がかなりあやふやである。


大と犬は一年生で習うのに、太は習わないらしいことを、最近五味に聞いて、そうだったかなと首を傾げた。


そもそもの話、学校で習ったことが記憶にないということは、それってつまり、イコールで、社会に出ても大して使わない知識ってことなのではないだろうか。


そりゃ、一般常識だとか、正しい敬い方だとかそういうのは多分、学校で習っていなければ身についていないのだろうけれど、でも、地理は兎も角、歴史の授業とか、習って意味があるとは思えない。


過去にどんなことがあったとか知って、どうなるのだ。


私は、未来に生きているんだ!


さておき。


国語、算数、体育、音楽、図工、理科、社会なんかが小学校の高学年になったらもう習うのに一般的なスタンダードだと思うけれど、英語とかは抜いてね。


子供の将来なれることの幅を広く持つために、文才や計算力やら、運動神経、音感、美術的センスなんかが必要だと言われれば私も分かる。将来科学者になるかもしれない子がいる、かもしれないのだから、理科の存在も理解できる。


けれど、そんなに並べてみたところで、社会、もとい、歴史の邪魔さが半端ではないと思う。


タイムトラベラーがいるというのならば、私も認めなくはないけれども、社会に出て、社会の勉強はなにか功を成すことがあるというのか。


戦争はいけないことだよー、みたいな、過去の過ちをもうしてはいけないよー、みたいな道徳心を鍛えるとかならば、百歩、千歩譲って分からなくないのだけれども、それにしては長く深く淡々と、過去について勉強させられるじゃない?


どういうことなのかしら。


将来教科書に乗りたいという子のためのものなのかな。

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