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『untitled』

第5章 赤いシクラメン


『仕事』だというお堅い言葉を舌で絡めとり奪った。

最初は手を突っ張って逃げようとしたけど、力が入らなくなったのか衣装をギュッと掴んで俺のキスを受け入れる。

こうやって俺はお前のモノだって伝えないと、嫉妬で狂っちゃうんだろ?

カメラマンの指示の最中にチラッと翔の様子を見ると、完全に表情は固まっていた。

仕事に関わったスタッフからは感情がなくて堅物だって専らの噂。

まぁ、実際も真面目だし仕事もできる。


でも本当は違う。


表情を作らないと気持ちが漏れるんだろ?

辛い表情を必死に抑えてるんだろ?


みんな知らない。

銀縁メガネの奥の、大きな黒目がゆらゆら揺れているのを……


「じゅ…ん」

自分が名前で呼ぶなって言ったくせに、吐息交じりで俺の名を呼ぶ。

「翔、好きだよ」

「ホントに?あの女優よりも?」

潤んだ綺麗な瞳から涙が零れ落ちた。

「何言ってんだよ。比べること自体、翔に失礼だよ」

「ありがとう……潤」

チュッと俺の唇にキスを落とした。


コンコン…


「松本さん、撮影開始します」

「はい、わかりました」

楽屋を出ると俺たちはまた、
俳優とマネージャーの関係に戻った。





「おはようございます」

「松本!ほら、見てみなさい」

自慢げに目の前のポスターを指差す。

「今回も期待してるわよ」

いつも俺に目をかけて、評価をしてくれる。

まぁ……金のなる木だからね?

「はい、頑張ります」

「さっきも櫻井に伝えたけど、この女優には気をつけてね?」

トントンとヒロインの顔に指を当てた。

「魔性の女だから。前回のドラマでも共演者の俳優と撮られてたみたいだし……まぁ、スキャンダルは注目を集めるいいチャンスだけどね」

「社長!スキャンダルは松本の……」

いつもは冷静な翔が珍しく声を荒げ、社長に詰め寄ろうとする。

「大丈夫です。気をつけます」

言葉を遮ると同時に、翔の前にスッと立って動きを止めた。

「すみません」

冷静を取り戻した翔が社長に頭を下げる。

「謝る必要はないわ。例えばの話。櫻井のマネージメントは信頼しているから。今回もよろしくね」

ポンと肩を叩くと、ヒールを鳴らしながら去って行った。

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