
闇に咲く花~王を愛した少年~
第1章 変身
五月の初めとはいえ、夜はまだまだ冷える。冷気が流れ込んできた室内はやけに温度が下がったように思え、誠恵は自分でも知らぬ中に身震いした。
尚善が窓を元どおりに閉め、傍に戻ってきた。客用にしつらえられた華やかな鶯色の座椅子にゆったりと腰を下ろし、おもむろに背後を振り返る。その視線を辿ると、小机の上に飾られた大ぶりの花器が眼に入った。大輪の黄薔薇が数本投げ入れられていて、夜目にも鮮やかだ。尚善の背後に置かれている屏風が墨絵の蓮であるだけに、花の派手やかさがよりいっそう際立っている。
「美しいものには棘があるとは、よく言ったものだ」
尚善はひとり言のように呟き、さり気ない仕種で青磁の壺から一輪を抜き取った。
まるで恋する男が愛する女に捧げるかのような恭しい手つきで、その薔薇を誠恵に差し出して寄越す。
誠恵は知らず手を伸ばしていた。
「暗闇に艶(あで)やかに咲き誇る花となり、その色香で若き国王を虜にし、意のままに操るのだ。そして生命を奪え。そなたの標的は国王だけだ。左議政の始末は私が引き受ける」
「国王(チユサン)殿下(チヨナー)を弑(しい)し奉れとおっしゃるのか?」
国王は朝鮮の民にとって至高の存在だ。しかも現国王光宗はまだ十九歳の若き王ながら、早くも聖(ソン)君(グン)としての呼び声も高く、民を思う心優しく賢明な青年だという。実際のところ、先代の永宗(エンジヨン)の御世よりも光宗の代になってからというもの、国情は穏やかで民心も安定していた。
誠恵の住まう都から離れた鄙びた小さな農村ですら、聖君として崇められる光宗の名声は轟き渡っていた。永宗のときは日照りが続いて秋の収穫がなかった年ですら、例年どおりの年貢を納めなければならなかったのに、光宗の即位後、そんなことはなくなった。今は飢饉になれば、逆に国が国庫を開き、飢えた民に粥をふるまってくれる。それもすべては国王(チユサン)殿下(チヨナー)のお優しい御心の賜(たまもの)だと民たちは皆、涙を流して宮殿に向かって手を合わせたほどだ。
尚善が窓を元どおりに閉め、傍に戻ってきた。客用にしつらえられた華やかな鶯色の座椅子にゆったりと腰を下ろし、おもむろに背後を振り返る。その視線を辿ると、小机の上に飾られた大ぶりの花器が眼に入った。大輪の黄薔薇が数本投げ入れられていて、夜目にも鮮やかだ。尚善の背後に置かれている屏風が墨絵の蓮であるだけに、花の派手やかさがよりいっそう際立っている。
「美しいものには棘があるとは、よく言ったものだ」
尚善はひとり言のように呟き、さり気ない仕種で青磁の壺から一輪を抜き取った。
まるで恋する男が愛する女に捧げるかのような恭しい手つきで、その薔薇を誠恵に差し出して寄越す。
誠恵は知らず手を伸ばしていた。
「暗闇に艶(あで)やかに咲き誇る花となり、その色香で若き国王を虜にし、意のままに操るのだ。そして生命を奪え。そなたの標的は国王だけだ。左議政の始末は私が引き受ける」
「国王(チユサン)殿下(チヨナー)を弑(しい)し奉れとおっしゃるのか?」
国王は朝鮮の民にとって至高の存在だ。しかも現国王光宗はまだ十九歳の若き王ながら、早くも聖(ソン)君(グン)としての呼び声も高く、民を思う心優しく賢明な青年だという。実際のところ、先代の永宗(エンジヨン)の御世よりも光宗の代になってからというもの、国情は穏やかで民心も安定していた。
誠恵の住まう都から離れた鄙びた小さな農村ですら、聖君として崇められる光宗の名声は轟き渡っていた。永宗のときは日照りが続いて秋の収穫がなかった年ですら、例年どおりの年貢を納めなければならなかったのに、光宗の即位後、そんなことはなくなった。今は飢饉になれば、逆に国が国庫を開き、飢えた民に粥をふるまってくれる。それもすべては国王(チユサン)殿下(チヨナー)のお優しい御心の賜(たまもの)だと民たちは皆、涙を流して宮殿に向かって手を合わせたほどだ。
