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カトレアの咲く季節

第9章 二人の少年

 ランプの灯りが遮られて、アレクは思考の海から浮上した。
 気がつけば、向かいに座っていたはずのライは立ち上がり、キッチンとテーブルとを往復している。
 テーブルにはレースのクロスが広げられ、その上に皿が並んでいた。
 端に寄せられた一輪挿しが可哀想に思えて、アレクはやや中央寄りに置き直す。

「何だよ、これ」
「この天候では外に出ることもままならないし、腹が減っては、とも言うだろう? 僕は料理ができないからこんなもので悪いけれど、ひとまず空腹を満たそうじゃないか」

 レースのクロスは、ユナが家から持ってきたもののひとつだ。もともとは彼女の祖母が編んだものだという。
 夕餉にはいつもこのクロスを敷くのよと、いつかアレクに大切そうに教えてくれた。
 
 クルミを混ぜたビスケットとチーズ、水を弾く果物、レモン水で満たされた水差し。
 それらがランプの妖しい光に照らされている。影ばかりが際立つような食卓だ。

「いらねぇ」
 ぷいと顔を背けたアレクの腹が、盛大に鳴る。
 怒りと恥ずかしさで真っ赤になったアレクに微笑んで、ライはビスケットの皿を差し出した。
「非常食としては完璧だろう?」

 相変わらず嘘臭い、好きになれない笑顔。
 けれどアレクは、黙ってビスケットを取った。
 理由は二つ。
 嵐に閉ざされたこの空間で、意地を張り続けるのは馬鹿みたいだと感じたこと。
 そして、ユナを大切に思う気持ちが、ライからも感じられたこと。

 アレクが、クルミのビスケットを「非常食」と呼んだのはうんと昔だ。
 ユナの家には、常にこのビスケットが、缶いっぱいに入っていた。もし食べ物が少なくなったときにも困らないようにね、と笑って、ユナの母がよく焼いていた。
 
 午後の眩しい日差しの中、焼きたての香ばしいビスケットをひとかけずつ口に入れてくれたユナの母。
 アレクの隣でにこにこと笑って、もっとちょうだいと手を出していたユナ。
 非常食だね、と言ったら難しい言葉を知っているわねと感心された。本で読んだから、使ってみたかっただけだというのは内緒にした。

 ここにはユナの祖母のクロスがあり、ユナの母のビスケットがある。
 そしてそれらにまつわる思い出を、ユナはライに語って聴かせたのだろう。

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