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カトレアの咲く季節

第10章 深夜の紅

「収穫祭で一番美しいものを、頂いていこうと思ってね」
 にぃっと笑った口元から、鋭い牙が覗いた、ように見えた。

「ユナから離れろ!」
 アレクは叫び、並べていた椅子を蹴散らして寝台に駆け寄った。
 寝ているユナは相変わらず青白い頬で、額には薄らと汗が浮かんでいた。
 その呼吸は浅く、速い。素人目にも、具合があまり良くなさそうだとわかる。

「ユナに何したんだよ! お前、お前は、なんなんだ!」
 アレクはユナを守るように、薄い布団の上からぎゅっと抱きしめた。このぞっとするほどに冷え切った室内で、ユナの身体は温かく、それだけが確かな現実に思えた。
 アレクは自分がユナを守っているのか、反対にユナから守られているのか、よくわからなくなる。

 ほんの数刻前には並んで食事をした、少年。
 アレクにとってはどうにもいけすかないけれど、ほんの少しだけ心を許してもいいかなと思えた少年。
 その存在が、今は恐ろしくて仕方がない。

「お前、まさか、死の神……?」
 死期が近い人間の前にふと現れて、その魂を取っていってしまうのだという死の神。
 稀に、まだ若く頑健な者が亡くなると、大人たちは「死の神に気に入られた」などと言う。アレクの父のときも、そうだった。

 けれど実体に触れた者はおらず、存在すら確かではない。
 おそらく伝承のひとつなのだろう思っていたそれが、今目の前にいるのかもしれないと思うと、アレクの足は知らず知らずのうちにガタガタと震えた。

 ただユナを抱きしめる。
 温かいその身体を。
 何よりも大切な女性を。

 ライはすうっと目を細めてアレクを見つめる。
 それが笑みであることは、アレクにはわからなかった。

「いやだなぁ。僕をあんな見境のない野蛮なものと一緒にしないでもらえないか。僕はね、美しいものを愛しているんだ」
 顎に指を添えて、ライはうっとりと言葉を紡ぐ。
 声に色があるのなら、ライのそれは艶のある黒だろう。その身に纏うマントと同じに。

「僕は長いこと、ひとりで生きている。どれくらい、だなんて無粋な質問はよしてくれよ。もう本当に、気が狂いそうなほどの時間なんだ」
 ライの言葉はやはり、よくできた芝居のようだった。
 何も聞くまいと思うアレクの耳にするすると入り込んでは、思考を絡めとる。観客であるアレクは、舞台に干渉することができない。

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