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カトレアの咲く季節

第11章 夢か現か

 記憶の中では昨日のような、収穫祭の日にも走った道をアレクは行く。握り締めた髪飾りが手のひらに食い込んで痛い。
 その痛みは、確かに髪飾りが存在している証に他ならない。

 商店街の終わり近くにある花屋は、記憶よりもずっと荒ぶれていた。
 窓から中をのぞいても、空のバケツが並ぶばかりだ。
 店主のバーサが病に倒れたのは、アレクの記憶では今年の初めだ。ユナとライに関すること以外は記憶が他の人間と共通だとしたら、この店は今年になってからほぼ人が入っていないことになる。

 裏口に回ると、壁にかけられた鉢植えには、小花を散らしたような草花が植ったまま枯れていた。
 扉の取手は薄汚れ、もう長いこと人が触れていないことがわかる。

 深呼吸してから扉に手をかける。
 そこは記憶のとおりにするりと開いた。

「ライ?」
 うんと静かに呼んだのに、アレクの声は薄暗い室内によく響いた。
 埃っぽい空気にくしゃみが出て、少し迷ってからアレクは扉を大きく開けた。室内から、何度も座ったはずの椅子を運んできて、開きっぱなしになるよう押さえる。

 必要最低限の家具しかない室内は、やはり寂れていた。
 床や家具の上には薄らと埃が溜まり、窓枠や天井の隅には蜘蛛の巣が張っている。
 テーブルにはユナのお気に入りだったレースのクロスなどなく、寝台にはユナの布団どころかシーツ一枚すら見当たらない。

 思わず足音を忍ばせて歩き回っていたアレクは、あるものを見つけて足を止めた。
 震える手で、取り上げる。
 記憶よりもやはり薄汚れた、一輪挿し。ユナが、売り物にならなくなった花を挿して楽しんでいたものだ。

 その中に、花束にするには茎の短い、白いカトレアがあった。
 花瓶に水は既にない。
 底が茶色く変色してさえいる。
 それなのに、そのカトレアは枯れてはいなかった。

 盛りは過ぎ、花弁の縁が茶色くなりかけてはいるものの、茎は未だ瑞々しく、香りも残っていた。
 アレクの記憶にある最後の日。あの収穫祭のあった嵐の夜に。
 ライが唇を寄せたそのままの姿で、カトレアはここにあった。

「どうして……」
 一輪挿しからカトレアを抜き取る。
 香りも、触った感触も、間違いなく本物だ。作り物の、飾りの花ではない。それなのに。

 この花は永遠に枯れないのだ。
 アレクはどうしてだか、当たり前のようにそう思った。

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