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あさいらむーんのひとりごと

第60章 2025年11月

「チャゲパート」 その2


今の若い人は知らないと思うけど、昔のカラオケボックスと言えばキャンピングカーとか、倉庫コンテナだった


そして一曲百円だった


受付で部屋番号を聞いたら、
受付の横にある両替機でみんなお札を崩すのだ

コンテナに入って、それぞれが座ったら、自分の目の前には山積みになった百円硬貨
「次、誰が唄う?」
てなったら立ち上がってテレビの下のレーザーディスクの機械に硬貨を入れる

125-A-6

とレーザーディスクの頭出しの番号を入れる

お金がもったいないから途中でストップなんてしない、百円がもったいない!


当時はまだまだ演歌やムード歌謡のほうが多くて、当時の若者向けのポップスは少なかったな

サザン、チャゲアス、ユーミン、あとは松田聖子や中森明菜、なんかのアイドル系ぐらい

当時好きだった米米CLUBやTMネットワークは3曲ぐらいしかなかった(笑)

おのずとセレクトされる曲は似かよっていて
一緒に行く友人が変わっても、だいたいおなじような曲を聴くことになる

だから別にチャゲアスもサザンも当時はそんなに好きってほどでもなかったのに、友人たちの影響で知ってる曲が増えていって、そのまま自分もCDを借りにTSUTAYAにいくわけだ!


バンドブームも終わって、その後のビーイング系やらTK音楽が流行りだした頃にはもう演歌よりポップスのほうが多くなっていた

そして百円硬貨システムは消えて、
歌い放題ばかりになっていった

思い返すとあの百円システムは酷かったな

山奥にぽつんとあるカラオケボックスのひとつに
「持ち込みCDを入れてボーカルキャンセル出来る部屋」というのもあった

そこはメタル系友人たちと集まって、カラオケには入ってないマニアックなヘヴィメタルを歌っていた記憶

いちどその様子をビデオカメラで撮影したんだけど、まぁ聴いてられなかった!
あれはあの空間の中だからノリで聴けたんだ
あらためてひとりで部屋で再生したら
恥ずかしくて最後まで聴けなかった

黒歴史、てあるんだなーー

まだ当時はガラケーがスタートした頃のお話しでした


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