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あの店に彼がいるそうです

第10章 最悪の褒め言葉です

 しばらく経って、鵜亥が出る。
「お久しぶりです」
 業務口調。
 俺は妙に落ち着いて言った。
「忍のこと色々教えてくださってありがとうございました。それで鵜亥さんに相談したいことがあって」
「アメリカのミシガンにジェイコブという医者がいましてね」
 出鼻を挫かれた気分だ。
 突然聞き慣れない単語に反応が遅れる。
「はい?」
「肝移植の専門医の一人ですが、先程連絡して明日の夕方までにこちらに来てもらうことになりました。彼のスタッフも揃って、すぐに手術に取り掛かることが可能です」
 言葉が出ない。
 携帯が耳から僅かに離れる。
「な……」
「瑞希様」
 いきなり鳥肌が立った。
 俺は空いている手で体を抱く。
 なんだ。
 業務口調は相変わらずなのに氷みたいに冷たい響きを伴ってる。
 こちらを突き放す形じゃない。
 沼に引きずり込まれて動けなくなるような感覚。
「ご友人の容態は此方にも知らせが来ております。彼もそれを聞いてアメリカを発つ決心をしました。我々は闇とはいえ医者です。救える命は必ず救います」
 一句一句、俺の心に刻むように。
 ぎゅっと腕に力を込める。
「そちらの病院のスタッフに話をつければ明日の夜には手術を開始することが出来ます」
 断定的な言い方。
 頼もしく、強い。
「俺は……どうしたらいいですか」
 空気が掠める音。
 鵜亥が小さく笑ったのだと気づいたのは数秒後だ。
「私に連絡してくださったのは費用についてお話したかったからではありませんか」
「……はい」
 それだけじゃないが。
 さっき類沢からあの話を聞かなければ知人、金融を這いずり回ってかき集める覚悟だった。
 でも時間がない。
 時間がないんだ。
「今どちらに?」
「えっと、忍の病院です」
「一時間後に今からお伝えするビルにいらしてください。入口に部下を控えさせます。詳しい話はそちらで」
 なんか言わなきゃ。
 だが、口を開こうとした時には虚しい電子音が鼓膜を揺らしていた。

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