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『エリーゼのために…』

第1章 エリーゼのために…

 142 手紙(1)

 駿へ

 この手紙は8月28日に渡して欲しいと頼みました。
 なぜならば、その日にわたしはドイツのある音楽大学に入学する為に日本を出発するからです。

 こんな大切なお話しを黙っていてごめんなさい。
 でも、とても話せなかったし、相談もできなかったからです。
 そしてこれはわたしの心と、わたし自身が思い、考え、決めたことなのです。

 駿はきっと、なぜ?、なぜなんだろう?と、今、この手紙を読みながら思っていることだろうし、とても納得できることだとは思ってはいないけども…

 いちおう順番に説明しますね。

 まずそもそもこのドイツ留学を思い付いたのは、あの、高校の通学時の電車の中で痴漢にあった夜なんだ。

 あの夜に夢で、わたしの心の、つまりはこの移植された心臓の持ち主が夢の中に現れたの…

 その持ち主は、ドイツ人の10代前半の男性のピアニストだったらしいの…
 しかもゲイで…
 そしてその彼は生前の最後はアメリカに留学していたみたいなの。
 ドイツ人らしいのかな?って実はなんとなく感じていたのよ、なぜなら、駿には英語が分かるって話していたけど、本当はドイツ語も理解できていたから。

 心臓移植はドナー登録とか、色々な複雑な手続きがあるみたいで詳しい経緯はわからないけど、そして元々の心臓の持ち主の事は知らされないけれども、その彼は強烈な意思の持ち主であったみたく、移植されてもなお、わたしの心としてわたしの中で生き続け、いや、きっと生き続けたいと思っているみたい。
 そして移植からの時間の経過と共にわたし自身と徐々に同化してきて一つになりつつあったのだと思うの。

 そんな経過と経緯は前に駿にも少しかいつまんで話したと思うけど生前の彼は、天才的な頭脳の持ち主で、人の心が読めて、優秀なピアニストで、そして…

 駿のことが大好きで…

 それは、わたし自身がよく理解できていたけど…
 だから駿とはあんな関係になったわけでね。

 そしてあの痴漢にあったあの夜に、わたしの夢の中に現れ、囁いてきたの。

 ドイツに行ってピアニストの勉強をしたいって…
 ううん、そう心が仕向けてきていた。

 その思い、心の衝動は、日々、毎日強くなってきていて…

 でもドイツ留学イコール駿と別れなくちゃならない、それはわたしが絶対にイヤだった。


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