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約束~リラの花の咲く頃に~ⅢLove is forever

第5章 想い

 その翌日は土曜日なのを利用して、莉彩は帰郷した。盆休みでも正月休みでもないのに突如として帰ってきた娘をむろん両親は歓迎した。
 今回ばかりは母も例の〝○○さんのお宅のお嬢さんは縁談が決まったそうよ〟という科白がなかった。そのことで、父も母も二人ともに莉彩の突然の帰宅に何かを感じているらしいことは知れた。
 それでなくとも、莉彩は十年前に一度、謎の失跡を遂げている。その失跡というのは言わずもがな、朝鮮王国時代にタリムトリップしていた期間だったのだが、むろん、両親がその真相を知るはずもなかった。両親は、莉彩が何者かに連れ去られ、連れ回されていたか監禁されていて、そのときの恐怖のあまり記憶を喪ってしまった―という莉彩の作り話をそのまま信じている。
 安藤家では、十年前のその事件は禁句になっていた。あの忌まわしくも怖ろしい事件を話題にすることで、両親はあのときの記憶が甦り、またしても大切な娘を失うのではないかと暗に怖れているかのように見える。
 不思議なもので、血の繋がりとは、たとえ真実を知らなくても、敏感に何かを察知するものなのだろうか。
「珍しいのねぇ。莉彩が特別な休みでもないのに、帰ってくるなんて」
 翌日の日曜の朝、母の加容子(かよこ)がキッチンでトーストを焼きながら言った。
 父は早朝から、社長や専務とゴルフに出かけていて、莉彩が二階の自室から降りてきたときには既にいなかった。
「たまには私だって、お父さんやお母さんの顔を見たくなることだってあるわよ」
 莉彩が大真面目に言うと、母は焼きたてのパンを載せた皿をドンと音を立ててテーブルに置いた。
「ねえ、莉彩。あなた、顔色が良くないわよ。昨日、帰ってきたときから気になってはいたんだけど、会社勤めの疲れのせいかなと思って、様子を見てたの」
「気のせいよ、お母さん。本当にもう昔から心配性なのは変わらないんだから」
 莉彩は笑いながら、まだ熱いパンに囓りついた。
 コーヒーメーカーから淹れたてのコーヒーの香りが立ち上り、鼻をくすぐる。よく焼いたベーコンと目玉焼きにグリーンサラダ。いつもの何ら変わりない我が家の食卓の風景だ。

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