淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④
第6章 祝言の夜
光王は、千福を殺すための情報を得るため、春泉の母蔡(チェ)京(ギヨン)にまで近づき、母を抱いた。父を殺し、母を弄んだ男―、本当なら憎んでも憎み切れない男のはずなのに、春泉の心には光王への憎悪はない。
ただ、心を占めるのは果てしない哀しみだけであった。
千福の殺害現場を見た春泉を、光王は一度殺そうとした。が、彼は春泉を殺さなかった。
―俺と一緒に来い。
差しのべられた手を取らなかったことに悔いはない。今でも、自分の取った道が正しかったのだと胸を張って言える。
でも、そういった理屈や常識では計り切れないもっと別のもの、敢えて名付けるとすれば感情の面で、春泉は今ももがいている。今なお忘れ得ぬ光王の面影や彼とのわずかな想い出ともいえない想い出に絡め取られ、呼吸さえままならない。
そう、自分はまだこんなにもあの男に強く魅せられている。あの日、光王の手を取らなかった時、既に自分の人生は終わったのだと思っていた。心に永遠の恋人を棲まわせたまま、ひっそりと生きてゆく。それが、すべてを失った自分にはふさわしい生き方なのだと思い込んでいた。
千福の死後、春泉と母は大勢の奉公人に暇を出し、それまで住んでいた屋敷も売り払い、都外れの小さな家に引っ越した。小さな家といっても、母子二人が住むには十分な広さのある屋敷で、以前のものとは比べものにならないとはいえ、名家の格式と体面を保つだけの広さと作りはあった。
柳家は常民(サンミン)ではあったものの、あまたの奴婢を抱えていた。しかし、チェギョンはこの際、彼らの奴婢証文を潔く焼き捨て、自由の身にしてやったのである。
千福のように平然と道理を外れたことをする人ではないけれど、母もまた、けして寛容な女性ではなかった。千福の女遊びに対抗するように若い愛人たちとの情事に耽り、使用人たちには厳しく接していた。
そんな母ではあったが、良人が亡くなって以来、少し変わった。母の嫉妬深さは父ですら怖れるほどであったのに、その大元である父がいなくなってしまったせいだろうか。
以前のように母を取り巻いていた刺々しさのようなものがなくなり、たまにではあるが、笑顔を見せるようになった。そういう意味では、父には酷な言い様かもしれないが、母はやっと父の呪縛から解き放たれ、自由になれたのかもしれない。
ただ、心を占めるのは果てしない哀しみだけであった。
千福の殺害現場を見た春泉を、光王は一度殺そうとした。が、彼は春泉を殺さなかった。
―俺と一緒に来い。
差しのべられた手を取らなかったことに悔いはない。今でも、自分の取った道が正しかったのだと胸を張って言える。
でも、そういった理屈や常識では計り切れないもっと別のもの、敢えて名付けるとすれば感情の面で、春泉は今ももがいている。今なお忘れ得ぬ光王の面影や彼とのわずかな想い出ともいえない想い出に絡め取られ、呼吸さえままならない。
そう、自分はまだこんなにもあの男に強く魅せられている。あの日、光王の手を取らなかった時、既に自分の人生は終わったのだと思っていた。心に永遠の恋人を棲まわせたまま、ひっそりと生きてゆく。それが、すべてを失った自分にはふさわしい生き方なのだと思い込んでいた。
千福の死後、春泉と母は大勢の奉公人に暇を出し、それまで住んでいた屋敷も売り払い、都外れの小さな家に引っ越した。小さな家といっても、母子二人が住むには十分な広さのある屋敷で、以前のものとは比べものにならないとはいえ、名家の格式と体面を保つだけの広さと作りはあった。
柳家は常民(サンミン)ではあったものの、あまたの奴婢を抱えていた。しかし、チェギョンはこの際、彼らの奴婢証文を潔く焼き捨て、自由の身にしてやったのである。
千福のように平然と道理を外れたことをする人ではないけれど、母もまた、けして寛容な女性ではなかった。千福の女遊びに対抗するように若い愛人たちとの情事に耽り、使用人たちには厳しく接していた。
そんな母ではあったが、良人が亡くなって以来、少し変わった。母の嫉妬深さは父ですら怖れるほどであったのに、その大元である父がいなくなってしまったせいだろうか。
以前のように母を取り巻いていた刺々しさのようなものがなくなり、たまにではあるが、笑顔を見せるようになった。そういう意味では、父には酷な言い様かもしれないが、母はやっと父の呪縛から解き放たれ、自由になれたのかもしれない。