淫らな死体~お嬢さま春泉の秘密~④
第17章 月夜の密会
月夜の密会
その朝、皇家では、ちょっとした諍いがあった。そのせいで、春泉は取りかかって既に半刻以上にもなるというのに、刺繍がちっともはかどらない。
「それにしても、旦那さまがあのように薄情な方だとは思ってもみなかったわ」
胸の中で滾る怒りを口に出してみても、この現状が取り立てて変わるわけではない。
わざとらしい溜息をついてみても、眼の前に当の喧嘩相手の秀龍がいないのだから、厭味にもならない。
その騒動というのは―。
時は少し遡る。その日の朝食は、いつもどおりに和やかな雰囲気で始まった。公務で忙しい秀龍が妻や娘と水入らずで過ごせる貴重な時間でもある。
が、和やかとはいっても、七歳の恵里は終始、沈み込んで食もろくに進まなかった。傍らの春泉に促され、匙を動かしてはみるものの、すぐに手を止めてしまう。
既に食事が始まってかなりの刻を経ても、恵里の前の器は殆ど手付かずだった。
いつもなら厳しく窘める春泉も、今朝ばかりは叱ろうにも叱れない。恵里の沈んでいる原因は判りすぎるくらいに判っている。飼い猫小虎が朝になっても、まだ帰ってこないからだ。
春泉にしても、流石にこれはただ事ではないと思い始めていた。何しろ、あの猫は冗談ではなく食い意地が張っていて、どこに出かけたとしても、食事の時間には必ず几帳面に帰ってくる。なのに、昨日の夕飯ばかりか、今朝の朝食にも帰ってこないとなると、やはり何か起きたのだとしか考えようがない。
途中で、恵里がとうとう泣き出したので、春泉は抱き寄せて頭を撫でてやった。
「大丈夫よ、小虎は必ず帰ってきます。恵里にとっては、小虎はお兄さん(オラボニ)のようなものだもの、どこに行ったとしても、帰ってくるから、泣かないで」
と、二人のやり取りを見ていた秀龍が呟いた。
「小虎が兄というのは流石にないだろう。それを申すなら、お祖父さま(ハルボジ)ではないか?」
普段から冗談を言わない秀龍のシャレにもならない冗談は、不在の小虎を案じている母娘の心を余計にかき乱すことになった。