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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第11章 第三話〝花笑み~はなえみ~〟・其の参

 それから更にふた月を経た卯月の初め、尾張藩上屋敷から立派な駕籠が二つ、江戸城に向けて出立した。回りを数十人の物々しい警護の武士に守られ、二挺の乗り物はゆっくりと進んでゆく。二つの駕籠の中、後ろに続くのは女駕籠で、その前後、左右にはあまたの奥女中が付き、その筆頭には尾張藩ご簾中付きの奥女中智島の姿があった。
 二挺の駕籠の後には、更に二つ駕籠が続く。それらには、前(さきの)尾張藩主夫妻の二人の御子がそれぞれ乳母と同乗している。
 その日、江戸の町の桜名所では桜が薄紅色の花を咲かせていた。盛りをやや過ぎてはいるものの、たっぷりとした花を隙間なくびっしりとつけた艶姿は、さながら艶やかな妙齢の女性が桜模様の豪奢な打掛を纏っているようでもある。
 雲一つない蒼穹の下、美空は駕籠の人となり、良人孝俊と共に江戸城を目指す。
 尾張藩上屋敷の玄関まで横付けされた駕籠に乗り込む時、美空は空を仰いだ。
 冬の空とは異なり、温かみのある済んだ青空がどこまでもひろがっている。
―空はあらゆるものを慈しみを込めた優しげなまなざしで見守っている。お前もあの空のようにすべてのものを包み込み、あまねくその懐に抱く存在であれ。
 美空の脳裡に、父弥助が我が名に込めた願いがふっと思い出される。
 涯なく続く蒼空は雲一つなく冴え渡っている。まさに、若きご簾中のゆくを寿ぐかのような晴れやかな空であった。  
 空高く、春の太陽が光の輪となって輝いている。額に手をかざしながら日輪を見上げている美空の眼に、誠志郎の笑顔が浮かぶ。美空はこの時、確かに亡き人の姿を日輪の中に見た。蒼空に輝く陽光の中に、束の間、誠志郎の笑顔を見たのである。
 誠志郎の優しい笑顔に、美空はそっと呼びかけた。
―ごめんなさい、そして、さようなら。
 まさに、美空が誠志郎の面影と決別し、将軍の妻として生きてゆくことを決意したときだった。

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