
激愛~たとえ実らない恋だとしても~
第4章 其の四
そんなある日、孝太郎が夜になっても帰らなかった。昼飯刻にも戻ってこず、夕刻どころか、陽が落ち江戸の町が夜の底に沈む頃になっても帰らない。
美空は小さなちゃぶ台の前に端座して、帰らぬ良人を待ち続けた。心づくしの夕飯はとうに冷えてしまっている。夜も更けてきて、流石に布団に入ったものの、それでも孝太郎は帰ってこなかった。
所帯を持って以来、こんなことは初めてである。普通、こういう場合は良人がどこぞの店で飲んだくれているか、女の許に泊まっているかと勘繰るものなのだろうが、美空は不思議とそんなことは少しも考えなかった。
ただ孝太郎の身に何事か起こったのではないかと、そればかりが不安で一晩中悶々として過ごした。結局、床には入ったものの暁方までまんじりともできず、夜通し起きている羽目になってしまった。
東の空の端がわずかに白み始める頃、腰高(こしだか)障子が静かに開いた。
美空はガバと身を起こし、音のした方を見つめる。
蒼色の早朝の大気の中で、孝太郎が感情を押し殺した顔で立っていた。その顔色は思わしくなく、夜の名残をそこここに残した淡い闇の中で、孝太郎の端整な顔までが蒼く染まっているようにさえ見える。
「まだ起きていたのか」
白い夜着姿の美空を見つめ、孝太郎は乾いた声で言った。
心なしか声にまで疲労が滲んでいるように聞こえる。一体、昨夜、孝太郎の身に何が起こったというのだろう。美空の胸は言い知れぬ不安に戦慄(わなな)いた。
「お前さん、一体、どうしたの? 私、あなたの身に何かあったんじゃないか、何かの事故や事件に巻き込まれたんじゃないかって随分気を揉んだのよ」
―帰らないのなら、せめて、ひと言知らせてくれれば良いのに。
いかにも女房めいた不満を口にしようとして、美空はその科白を呑み込んだ。
孝太郎のあまりの顔色の悪さ、そして表情の硬さに今更ながらに胸を突かれたのだ。
「親父が死んだ」
孝太郎はすべての感情を呑み込んだような瞳で美空を見ている。
よもや、たったそれだけの言葉が美空のこれからの生涯を一転させてしまうことになると、その時、誰が予想し得ただろうか。
美空は小さなちゃぶ台の前に端座して、帰らぬ良人を待ち続けた。心づくしの夕飯はとうに冷えてしまっている。夜も更けてきて、流石に布団に入ったものの、それでも孝太郎は帰ってこなかった。
所帯を持って以来、こんなことは初めてである。普通、こういう場合は良人がどこぞの店で飲んだくれているか、女の許に泊まっているかと勘繰るものなのだろうが、美空は不思議とそんなことは少しも考えなかった。
ただ孝太郎の身に何事か起こったのではないかと、そればかりが不安で一晩中悶々として過ごした。結局、床には入ったものの暁方までまんじりともできず、夜通し起きている羽目になってしまった。
東の空の端がわずかに白み始める頃、腰高(こしだか)障子が静かに開いた。
美空はガバと身を起こし、音のした方を見つめる。
蒼色の早朝の大気の中で、孝太郎が感情を押し殺した顔で立っていた。その顔色は思わしくなく、夜の名残をそこここに残した淡い闇の中で、孝太郎の端整な顔までが蒼く染まっているようにさえ見える。
「まだ起きていたのか」
白い夜着姿の美空を見つめ、孝太郎は乾いた声で言った。
心なしか声にまで疲労が滲んでいるように聞こえる。一体、昨夜、孝太郎の身に何が起こったというのだろう。美空の胸は言い知れぬ不安に戦慄(わなな)いた。
「お前さん、一体、どうしたの? 私、あなたの身に何かあったんじゃないか、何かの事故や事件に巻き込まれたんじゃないかって随分気を揉んだのよ」
―帰らないのなら、せめて、ひと言知らせてくれれば良いのに。
いかにも女房めいた不満を口にしようとして、美空はその科白を呑み込んだ。
孝太郎のあまりの顔色の悪さ、そして表情の硬さに今更ながらに胸を突かれたのだ。
「親父が死んだ」
孝太郎はすべての感情を呑み込んだような瞳で美空を見ている。
よもや、たったそれだけの言葉が美空のこれからの生涯を一転させてしまうことになると、その時、誰が予想し得ただろうか。
