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Tears【涙】~神さまのくれた赤ん坊~

第5章 ♠RoundⅣ(踏み出した瞬間)♠

「さあね。こんなオバさんになったら、今時の若い子のことはてんで判らないわ」
 有喜菜が心もち肩をすくめた。
「あの子たちを見てたら、思い出したの」
「思い出すって、何を?」
 紗英子は今日、初めて有喜菜を真正面から見た。相変わらず、白いシャツと黒のタイトスカートが抜群のスタイルを引き立てている。
「私たちが中学生だった頃のこと」
 ああ、と有喜菜が頷いた。
「そうよね。私たちも、いつもあんな風に帰ってたものね」
「私が自転車通学で、有喜菜は歩きだったよね。有喜菜はさっきの子のように、この坂を勢いよくすべるのが好きで、私ははらはらしながら見てた」
「もう、随分と昔になったわね」
 有喜菜がしみじみと言った。恐らく、この瞬間には、二人は同じことを考えているはずだった。同じ制服を着て、同じ道を通い、同じ時代を生きた同士であり、仲間だ。
 紗英子の中で有喜菜に対する親近感が急速に増した。今、有喜菜と自分は間違いなく同じ時間を、想い出を共有している。
「あなたの言うとおりね。あの頃がもう随分と昔のような気がするわ」
 紗英子は呟き、空を見上げた。雲一つない抜けるような蒼い空。薄青い冬の空はいかにも寒々しく寒走って見える。
「あの頃は良かった、戻れるものなら時を巻き戻して、あの時代に帰りたいわ」
 視線を戻し、前方を見ても、既に少女たちの姿はどこにも見当たらなかった。
 同じ時代を共有していた二人は、別々の高校に進学した。直輝と紗英子は公立のN高校へ、小さいけれど貿易会社を営む父親を持つ有喜菜はお嬢さま学校として知られる私立の女子校へと進学し、それぞれの進む道は別れた。
 そう、時は二度と戻せないし、人は過去に帰ることもできない。ただ、ひたすら未来へ、前へ向いて進むしかない。たとえ、その先に何が待ち受けていようとも、後戻りはできないのだ。

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