紫陽花(オルテンシア)~檻の中の花嫁~
第5章 光と陽だまりの章②
家を出てから更に三時間後、勇一が帰ってきたときには、美月はテーブルに打ち伏して熟睡していた。その傍らに、寄り添うようにポッキーが丸くなっている。
ちゃぶ台にも勉強机にも早替わりするガラス・テーブルの上には、編みかけの小さな小さな靴下がちょこんと載っていた。その眼にも鮮やかなイエローの靴下と美月を交互に眺め、勇一が一人、幸せな想いに浸ったことを、美月は知らない。
と、美月が可愛らしい唇を少し動かした。思わず、今すぐにでもその可憐な唇を塞ぎたい衝動を堪え、勇一はそっと美月の口許に耳を近づける。
勇一の顔が自然と綻ぶ。
「―勇一さん」
彼の愛してやまぬ妻は、寝言で夫の名前を呟いているのであった。
美月を眺めていた勇一の顔に、やがて微苦笑が浮かび上がった。
「それにしても、俺とポッキーを間違えるなんて、それはひどいよな」
何と美月は眠りながら勇一の名を呼んだかと思うと、ポッキーをひしと抱きしめたのだ!!
ポッキーはといえば、美月に抱きしめられ、これまた、幸せそうな表情で呑気に眠りこけている。勇一はポッキーが妬ましくなり、〝おい、起きろ〟と、ちょっと意地悪な気持ちになって、ポッキーの髭を軽く引っ張った。
しかし、肝心のポッキーは美月と同様、ぐっすり眠っているようで、ピクリとも動かない。美月に両腕で抱えられて、居心地が良いのか気持ちよさげに眼を閉じている。
こんな寒い夜、美月のやわらかな胸に顔を埋めその温もりに包まれて眠れば、さぞかし寒さ知らずで過ごせるに相違ない。
「俺だって、まだ彼女の方から抱きしめて貰ったことなんかないのに」
勇一はなおも美月とクッキーを眺めていたが、小さく肩をすくめて嘆息した。
「でも、犬にヤキモチを焼く俺も俺か」
呟くと、犬にさえ嫉妬する自分に照れるように笑い、ぐっすりと眠る美月の上から毛布をかけてやった。
勇一の口から、かすかな呟きが零れ落ちる。
「ニガ ナル オルマナ ヘンボッカゲ ヘンヌンジ、ノン モルヌン ゴヤ(君が僕をどれほど幸せな気持ちにしているか、君は知らないだろうね)」
それは、彼が好きな韓国のハードボイルド小説の主人公の探偵が恋人の寝顔を見て、呟いた科白だった。
電気ストーブの低いノイズが静かな空間に響いている。勇一はいつまでも名残が尽きないようにその場に佇んで美月の寝顔を眺め続けた。
ちゃぶ台にも勉強机にも早替わりするガラス・テーブルの上には、編みかけの小さな小さな靴下がちょこんと載っていた。その眼にも鮮やかなイエローの靴下と美月を交互に眺め、勇一が一人、幸せな想いに浸ったことを、美月は知らない。
と、美月が可愛らしい唇を少し動かした。思わず、今すぐにでもその可憐な唇を塞ぎたい衝動を堪え、勇一はそっと美月の口許に耳を近づける。
勇一の顔が自然と綻ぶ。
「―勇一さん」
彼の愛してやまぬ妻は、寝言で夫の名前を呟いているのであった。
美月を眺めていた勇一の顔に、やがて微苦笑が浮かび上がった。
「それにしても、俺とポッキーを間違えるなんて、それはひどいよな」
何と美月は眠りながら勇一の名を呼んだかと思うと、ポッキーをひしと抱きしめたのだ!!
ポッキーはといえば、美月に抱きしめられ、これまた、幸せそうな表情で呑気に眠りこけている。勇一はポッキーが妬ましくなり、〝おい、起きろ〟と、ちょっと意地悪な気持ちになって、ポッキーの髭を軽く引っ張った。
しかし、肝心のポッキーは美月と同様、ぐっすり眠っているようで、ピクリとも動かない。美月に両腕で抱えられて、居心地が良いのか気持ちよさげに眼を閉じている。
こんな寒い夜、美月のやわらかな胸に顔を埋めその温もりに包まれて眠れば、さぞかし寒さ知らずで過ごせるに相違ない。
「俺だって、まだ彼女の方から抱きしめて貰ったことなんかないのに」
勇一はなおも美月とクッキーを眺めていたが、小さく肩をすくめて嘆息した。
「でも、犬にヤキモチを焼く俺も俺か」
呟くと、犬にさえ嫉妬する自分に照れるように笑い、ぐっすりと眠る美月の上から毛布をかけてやった。
勇一の口から、かすかな呟きが零れ落ちる。
「ニガ ナル オルマナ ヘンボッカゲ ヘンヌンジ、ノン モルヌン ゴヤ(君が僕をどれほど幸せな気持ちにしているか、君は知らないだろうね)」
それは、彼が好きな韓国のハードボイルド小説の主人公の探偵が恋人の寝顔を見て、呟いた科白だった。
電気ストーブの低いノイズが静かな空間に響いている。勇一はいつまでも名残が尽きないようにその場に佇んで美月の寝顔を眺め続けた。