しのぶ
第1章 1・光への生還
豊臣秀吉の死去により、統一されたはずの天下は再び戦乱の曇りが漂い始めていた。そして戦国の世には、その曇りに隠れて動きを増すものがいる。黒装束と頭巾で身を包んでいるため、男という性別と、鋭い眼光以外は、年齢も顔つきも何も分からない。彼――志信(さねのぶ)も、暗雲に紛れ駆ける者の一人だった。
中国地方を支配する毛利家の一門に、小川吉右衛門元康という男がいる。闇に紛れるよう黒装束と頭巾を纏った志信は、誰の目にも止まる事なく元康の居城である荒谷城を巡っていた。石垣から、屋根へと飛び移る影。それを捉えられるのは、空に浮かぶ満月だけだった。
この瞬間、広がる闇に隠され、血の赤が飛び散っている事を知る者は場内に誰もいない。命絶えゆこうとする、忍び以外は。
城の瓦の上を、音もなく駆け抜ける忍び。手裏剣による傷を負った脇腹を押さえながらも、この忍びは本分を忘れずに走っていた。だが人の目に触れ傷を負った時点で、忍びとしての力量は知れている。志信は、既に勝者の心積もりで忍びの後を追っていた。