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硝子の挿話

第2章 刹那

 夏休みの最後の日を迎える朝。リビングには長男である麻緋(あさひ)が、新聞を読んでいた目を上げ、眼鏡の奥にある怜悧さを柔らげて微笑した。
「今日は約束でもあるのか?」
 現在、午前七時半―――社会人である麻緋は仕事がある。
 今、現在この家の総責任を海外に出ている両親から頼まれ、既に半年が過ぎている。本来父親の出張についていく予定はなかった母を、子供らは成人した兄弟が既にいる事実も含めて後押しをした。
 仲のいい二人を引き離すのも忍びないが、父親というひとがまた妻が居なければご飯もおざなりにしてしまうタイプだし、新婚を楽しむ間もなく出産や育児に入ったことで、愚痴を零すことはなかった母親を、今更ながらに気を使った子供らの言葉にとりあえず頷き海外へと旅立ったのだ。

「お早うございます…。約束はまだありませんが………その眠れなかったのです…」

 まだ意識がどこかぼんやりと霞みがかっている感じがして、瞼を擦って麻緋の隣に座る。麻緋はその寄せてくる頭を撫でた。
 優しさに全身で甘えて、瞳を閉じると自然と眠気が強くなる。他にも兄弟は居るのだが、生まれた当時から一番好きだったのはこの兄のようで、こうしているだけで眠気が訪れてしまうのだ。
 うとうとと船を漕ぎ始めた。
「おは。ちーは朝パンだよ」
 キッチンから出てきたのは、千尋の一つ年上の姉である真夜(まよ)だ。麻緋の膝に甘えながら、千尋はうつつの返事を返す。兄弟仲は思うよりもいいらしく、近所でもそう評価されていた。
「麻緋兄さん優しいから好きです」
「俺も愛しているよ……」
 男性が苦手な千尋でも兄弟を怖いと思ったことがない。千尋には麻緋以外にも、もう一人大学に通う兄、真昼(まひる)が居る。
 兄弟は全員で五人。両親を合わせると七人家族だ。

「ほらっ、そこ!イチャイチャしないで!朝飯食いな!」

 家事を主に担当する真夜に難があるとすれば、顔とギャップの強い言葉使いだろう。
 テーブルにクロワッサン。ハムと卵を挟んだのが二つと、アイスミルクがシロップとセットで並び、ポテトサラダを盛った盆を千尋の前に置いた。
「真夜…その汚い言葉遣いは止めないのか?」
 眉根をしかめ、膝の上に新聞を置いて真夜を仰ぎ見るが、そんなのは気にしないとばかりに綿菓子のように甘く笑いかける。

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