
20年 あなたと歩いた時間
第9章 32歳
沈黙を破ったのは陽子さんだった。
とりあえず座りましょう、と促されて
やっと記憶が現在に戻ってきた。
「のぞみさん。お返ししなければいけないものがあるの」
そう言って陽子さんは小さな箱を
テーブルに置いた。開けると、そこには
緩衝材で丁寧にくるまれた
小さな四角いものがあった。
…ポケットベル。
「これ…流星の…」
「あの時、これを私が持ち帰ってもいいのかどうかわからなかったけど…あの子…流星はこれを握りしめてたって、後から聞いたわ。私も随分経ってから気づいたの。そのふたの裏の小さな写真…のぞみさんでしょう?」
ふたを外すと、そこには十三年前の私と
流星がいた。
大学祭で撮ったシールタイプの写真。
記憶の中の流星。
でもその隣で笑う私は、今とは違う。
広輝が横からのぞきこんで、
今より全然粗い、と言った。
(ほら、見て)
寒い、京都の夜だった。
こたつの向こうで照れくさそうに
そう言って、自分の青いポケットベルを
出した。二十歳の誕生日に、お揃いで
流星が買ってくれたポケットベル。
あの頃、一緒に住んでいたけれど
流星と面白がってよくメッセージを
送りあった。
けんかした翌日や、すれ違いが続いた日、
普段は照れくさくて言えない言葉。
他人が見たらどうということのないやり取りを
私は何よりもうれしく思っていた。
数字の羅列があんなに温かいと思ったことは
なかった。
「良かったら、のぞみさんが持っていて?」
陽子さんはポケットベルごと、私の両手を
包み込んだ。温かい手。
「お母さん、見せて」
広輝が、ポケットベルを握りしめた私の手を
ほどいた。
貼られた写真をじっと見つめながら、
兄さんがいたらこんな感じかな、
とつぶやいた。
「そうね。そうかもしれないわね…」
答えた陽子さんは、とても嬉しそうに見えた。
ずっとこのポケットベルの存在を気にしていたのだろう。
でも写真の隣で笑う私が、まさか
流星の子どもを産み育てていたとは
思っていなかったはずだ。
午後遅い飛行機で、日本を発つと言う
陽子さんと別れて、私と広輝は
また電車に乗って家に帰った。
電車の中では、二人ともひとことも
話さなかった。
肩に当たる春の日差しが暑いほどだった。
「お父さん…ってよくわからないんだ」
とりあえず座りましょう、と促されて
やっと記憶が現在に戻ってきた。
「のぞみさん。お返ししなければいけないものがあるの」
そう言って陽子さんは小さな箱を
テーブルに置いた。開けると、そこには
緩衝材で丁寧にくるまれた
小さな四角いものがあった。
…ポケットベル。
「これ…流星の…」
「あの時、これを私が持ち帰ってもいいのかどうかわからなかったけど…あの子…流星はこれを握りしめてたって、後から聞いたわ。私も随分経ってから気づいたの。そのふたの裏の小さな写真…のぞみさんでしょう?」
ふたを外すと、そこには十三年前の私と
流星がいた。
大学祭で撮ったシールタイプの写真。
記憶の中の流星。
でもその隣で笑う私は、今とは違う。
広輝が横からのぞきこんで、
今より全然粗い、と言った。
(ほら、見て)
寒い、京都の夜だった。
こたつの向こうで照れくさそうに
そう言って、自分の青いポケットベルを
出した。二十歳の誕生日に、お揃いで
流星が買ってくれたポケットベル。
あの頃、一緒に住んでいたけれど
流星と面白がってよくメッセージを
送りあった。
けんかした翌日や、すれ違いが続いた日、
普段は照れくさくて言えない言葉。
他人が見たらどうということのないやり取りを
私は何よりもうれしく思っていた。
数字の羅列があんなに温かいと思ったことは
なかった。
「良かったら、のぞみさんが持っていて?」
陽子さんはポケットベルごと、私の両手を
包み込んだ。温かい手。
「お母さん、見せて」
広輝が、ポケットベルを握りしめた私の手を
ほどいた。
貼られた写真をじっと見つめながら、
兄さんがいたらこんな感じかな、
とつぶやいた。
「そうね。そうかもしれないわね…」
答えた陽子さんは、とても嬉しそうに見えた。
ずっとこのポケットベルの存在を気にしていたのだろう。
でも写真の隣で笑う私が、まさか
流星の子どもを産み育てていたとは
思っていなかったはずだ。
午後遅い飛行機で、日本を発つと言う
陽子さんと別れて、私と広輝は
また電車に乗って家に帰った。
電車の中では、二人ともひとことも
話さなかった。
肩に当たる春の日差しが暑いほどだった。
「お父さん…ってよくわからないんだ」
