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20年 あなたと歩いた時間

第9章 32歳

電車を降りて、私の少し後ろを歩いていた
広輝が突然言い出した。
同じ高さの目線がふと、そらされる。

「知らないおばさんに、お父さんに似ているとか言われても…」

ずっと考えていたのだろう。
十二歳の限られた経験の中で、父親の存在を
一生懸命何かに当てはめていたのかも
しれない。でも彼なりの、
しっくりくるピースを見つけられないでいる。

「あんな昔の写真見せられて、お父さんに似ているって言われても…広輝も困るよね。お父さんって普通あんなに若くないし。だって、広輝のお父さんは二十歳のままなんだもん。…お母さん、本当はもうお父さんのこと忘れ始めてるんだ」

広輝は、視線を私に戻して驚いたような
顔をした。

「広輝に、お父さんを押し付ける気はないよ。だって、広輝にはお父さんがいたことがないんだもん。無理に受け入れなくていいの…お母さんは、広輝と暮らす毎日が全てだよ。お父さんは…小野塚流星は…いい思い出なの。思い出ってね、いつか忘れていくの。もっと大切な何かに置き換えられていくの」

本当のことだった。
この十三年で、記憶の中の流星や真緒は
徐々に薄れつつある。
はっきり思い出せる場面が
少なくなってきたのだ。映像が色褪せて、
その時の気持ちだけが重みとして
残っているのだ。

「お母さんね、このポケットベルに何て送ったのか…思い出せないし、もう読めない。あの時はね、こんな数字ばっかりでも文字みたいに読めたのに。もう、全然思い出せない」

私の人生は、今日までずっと途切れることなく
続いてきたのだ。
流星と過ごさなかった時間は、
広輝と過ごした時間であり、
先に進むための時間だったのだ。

「だからお母さん、流星と育ったこの街に帰ってきたのよ。もう、ちゃんと前を向いて歩けそうだから。」

広輝は黙って聞いていた。
私は前を向いて歩きたかったのだ、きっと。
前を向いていると思えなかったから、
そう思うのだ。
十二歳のあなたに、私は少し理解し難い話を
したかもしれない。
こんな複雑な感情を経験しなくてもいいくらい
あなたは、まだ子どもだ。
だって。
あの流星ですら、
十二歳の頃は走ることが大好きで、
世界一のランナーになるのが
夢だったのだから。
無邪気に夢だけを見ていたのだから。

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