
20年 あなたと歩いた時間
第13章 そして
アメリカに来て3年半が過ぎた。
僕はもうすぐ二十歳になろうとしている。
流星の人生が終わりを告げた、二十歳だ。
僕は今日まで、陽子叔母さんが指揮を執る
メディカル・スクールの研究室で、ある細胞の
実験をしていた。
3年半前、16歳だった僕は、あの仮説、つまり
流星が最後に立てた仮説を自分なりにもう一度
考え直してみた。
16年も経つと医学の世界はもっと進歩している
かと思っていたが、あの遺伝性の病気は、まだ
原因すら解明されていなかった。
症例が少なすぎて、研究費が出ない研究機関が
大半だということだった。
その仮説をひっさげて。
僕は何とかこのアメリカで、飛び級制度を使い
大学に入学した。陽子叔母さんとその助手の
もとでいくつか論文も書いた。
そして日本で、それを見た十河教授から誘いが
あった。
僕は、迷わず流星が通ったあの大学を受験し
合格した。
流星と同じ道を通るために。
流星が歩いた道を、僕も歩きたかったから。研究者ではなく、学生としてもう一度。
日本に、降り立った。
この足でこの場所から流星ともう一度歩き
たくて。
桜の咲き誇る四月。
「しっかりやってこいよ、広輝」
「何かあったら電話してね」
「またそれ?子どもじゃないんだからさ」
アメリカに行く時にも言われたっけ。
「そうね…もう子どもじゃないか」
「行ってきます。お母さん。…お父さん」
「おとうさ…おまえ、広輝!」
要がうしろで叫んだ。
いくぞ、流星。もう一度。
僕はもうすぐ二十歳になろうとしている。
流星の人生が終わりを告げた、二十歳だ。
僕は今日まで、陽子叔母さんが指揮を執る
メディカル・スクールの研究室で、ある細胞の
実験をしていた。
3年半前、16歳だった僕は、あの仮説、つまり
流星が最後に立てた仮説を自分なりにもう一度
考え直してみた。
16年も経つと医学の世界はもっと進歩している
かと思っていたが、あの遺伝性の病気は、まだ
原因すら解明されていなかった。
症例が少なすぎて、研究費が出ない研究機関が
大半だということだった。
その仮説をひっさげて。
僕は何とかこのアメリカで、飛び級制度を使い
大学に入学した。陽子叔母さんとその助手の
もとでいくつか論文も書いた。
そして日本で、それを見た十河教授から誘いが
あった。
僕は、迷わず流星が通ったあの大学を受験し
合格した。
流星と同じ道を通るために。
流星が歩いた道を、僕も歩きたかったから。研究者ではなく、学生としてもう一度。
日本に、降り立った。
この足でこの場所から流星ともう一度歩き
たくて。
桜の咲き誇る四月。
「しっかりやってこいよ、広輝」
「何かあったら電話してね」
「またそれ?子どもじゃないんだからさ」
アメリカに行く時にも言われたっけ。
「そうね…もう子どもじゃないか」
「行ってきます。お母さん。…お父さん」
「おとうさ…おまえ、広輝!」
要がうしろで叫んだ。
いくぞ、流星。もう一度。
