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20年 あなたと歩いた時間

第1章 14歳

陸上部の試合を見た日の午後、
塾が終わった真緒と買い物に行く約束を
していた。
ほんの十五分ほど電車に乗れば、
おしゃれでにぎやかな港町に
行くことができる。
そこで少ないお小遣いを
使い果たしてしまうのは、
十四歳にとってはかなり
エキサイティングなことだった。

「ねえ真緒、流星が趣味で陸上してるって知ってた?」

夏休みと言えど平日の午後の電車は
空席が目立つ。
エアコンの効いた涼しい車内は快適で、
眠り込んでいる客が何人かいた。

「…そうかもね、流星の場合」
「何で?」
「だって流星、現実主義者だから」
「現実主義者…」
「あんなに走るの、好きなのにね」

真緒は当然のような顔をして、
小さなバッグからリップクリームを
取り出して塗った。
真夏なのに唇バリバリ、と言いながら。

「今日試合見てきたんだ」
「へえ、珍しいね」
「流星すごく速かった。負けないの。すごく一生懸命、走ってた。でも趣味なんだよ?悔しくない?」

今日、流星の試合を初めてちゃんと
見た。
予想通り、流星はどの種目も
上位に入り決勝に進んだ。
スタートブロックに足をかけ、
地面に手をつくと
トラックが一瞬静かになり、
呼吸する音までが聞こえるような
気がした。ピッという音で顔を上げ、
次の瞬間には一斉にスタートした。
圧倒的な速さでまわりをぐんぐん
引き離していく。
伸びやかな脚が力強く地面を蹴り、
腕は空気をかいて、
流星は水の中のイルカのようだった。
まっすぐにゴールを見据えて、
誰よりも速くそこに足を踏み入れた。
ほんの十数秒が、
私の記憶に刻まれた。
こんなに生き生きとした流星が
目の前にいる。
悔しかった。
こんなに、真剣になれるものが
あったことに。
それなのに、ただの趣味だと
言ったことに。

「…そんなもんなんだよ、きっと」
「そんなもん?どういうこと?」

続きを聞こうとした時にはもう、
真緒は電車を降りようと
席を立っていた。
その後も、何度か『そんなもん』の
意味を聞こうと
機会をうかがっていたのに、
真緒はもう忘れてしまったかのように
何事もなく服を選んでいた。
私もそのうちかわいいサンダルを
みつけて、どちらにしようか
迷っているうちに忘れてしまっていた。
幼なじみについての小さな疑問よりも、目の前のサンダルを選ぶほうが
はるかに重要な問題だった。

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