たゆたう草舟
第1章 月夜の草舟
母が慰めてくれた時の記憶を頼り、私は昌幸様の背に手を回すと広い背中をさすりました。昌幸様は驚いたのか一瞬ぴくりと体を震わせましたが、されるがまま小さな私に身を寄せました。かつて私が母に縋った時のように。
昌幸様の近習が探す声が辺りに響くまで、彼はずっとそうしていました。そして再び顔を上げたその時、もう昌幸様は精悍な顔つきに戻られていたのです。
「女童、お前はどこぞの武家の子か?」
「いいえ、父はむかし信綱さまに仕える武士でしたが、死んでしまいました。わたし以外の皆は全員死んで、もう家はありません。信綱さまは、そんなわたしを奉公人として迎えてくれたんです」
「年はいくつだ?」
「九つです」
「弁丸――私の息子と同い年か。なるほど、その割にはしっかりとした娘だ」
そんな事を聞かれている内に、近習が昌幸様を見つけ駆け寄ってきました。彼らは私に目もくれず、昌幸様を囲みました。その中の一人は私に手を差し出し、にこりと笑いました。
「君も、捜索ご苦労だった。さあ、帰るよ」
私はその方に連れられて、城へと戻りました。その後昌幸様がどうされたのかは知りません。が、彼はその後、養子先である武藤家を出て、真田へ復姓し信綱様の後を継ぎました。私は真田の奉公人ですから、そのまま昌幸様の下で働く事となったのです。
あの日、私が浮かべた草の舟はどうなったでしょうか。きっと不器用な私の舟ですから、すぐに沈んでしまったでしょう。
しかし、今の私には分かります。あの夜昌幸様が浮かべた舟はどこまでも先へ進んだでしょう。月を背に、朝日を迎え、細く長く――
あの日から私の頭は、彼を泣かせたくないという想いで働くようになったのです。
つづく