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彩夏 ~君がいたから、あの夏は輝いていた~

第2章 友達でいたかった


「…私、留学しようと思ってる」

それは突然だった。でも、奈緒子は3年生だし進路の話をしていても全然おかしくない。

「留学…って、どこに?」
「イギリス。まだ先の話だけどね」
「ああ…そっか。留学か」

びっくりした?と言って、また僕の隣に座った。

「奈緒子、時間は?大丈夫?」
「あ、何時?」

このあと塾があると言っていたことを思い出した。時計をしていない奈緒子は、僕の手首を持ち上げて時間を見た。細長くて白い指と、僕の腕の色が見事なコントラストだ。

「うで。塔也の腕、」
「え?」
「大好きよ。この腕にぎゅっ、てされるの。…じゃあね。これ、ありがとう」

花束を抱えて、奈緒子は走っていく。その後ろ姿は、グラウンドで見るのとは全然違う。
奈緒子が帰ったあとの公園で、僕はしばらく、ひとりぼんやりしていた。

…どんなに努力しても、かみあわない気持ちを先回りして見透かされている気がする。そして、そのどれも、奈緒子は許そうとしてくれる。少し困った笑顔で。

先月のことだ。本当なら、甲子園でどこかの学校と試合をしていたはずの僕らには、思いがけない春休みになった。
暇にまかせて奈緒子と会っていた時に、
奈緒子は、僕が10歳まで育った街を見てみたいと言った。ここから電車に乗って2時間の、大きな湖のある街。もう、知り合いは誰もいない。父と弟も、いまはどこにいるか知らない。だからそんな場所に行きたいと思ったことは一度もなかった。あの日から、一度も。でも奈緒子は見たいと言った。塔也が笑っていた頃に歩いた道を一緒に歩きたいと言った。
僕が、笑っていた頃。
それは間違いなく、あの街に住んでいた頃だ。両親がいて、小さな弟がいて。
そうだ。犬も飼っていた。友達がいて、夏には湖で泳いで、バーベキューもした。
…庭で、父とキャッチボールをした。
そんな思い出だけが残る街に、僕らは出掛けた。
右手に湖が見えてくるにつれ、徐々に車内の乗客が減っていった。最後尾の車両はクロスシートで、僕らとおなじ進行方向を向いて座っている老夫婦だけになった。
次は、ながはら、ながはらとアナウンスが聞こえた。
子どもの頃、夏休みを母親の実家で過ごしてまたうちに戻ってくるとき、このアナウンスが聞こえると母さんは深いため息をついたことを覚えている。

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