煩悩ラプソディ
第24章 半径3mの幸福論/SA
「…潤が?」
ダイニングテーブルに向かい合っての晩酌中、ビールグラスを煽る翔ちゃんの手が口元で止まった。
先程お風呂で潤から告げられた言葉を伝えると、グラスを置いて目を伏せてから、ソファでテレビを観る子ども達に視線を送る。
「…まだ、伝えてなかったよね」
そう静かに投げかければ、こちらに目線を向けた瞳が弱く細められて揺らいだ。
ー翔ちゃんの奥さん…
潤の母親は、俺達が家族になる前に亡くなっていた。
潤と同じように闘病生活を送っていて、いつかまた一緒に暮らせる日を夢見て、潤は病気と闘っていたんだ。
いや、今だってそう。
きっとまだ、母親も自分と同じように病気と闘っていると信じてる。
敢えて潤に伝えなかったのは、まだ幼かったあの頃の潤には受け入れられないだろうと。
そして母親の存在を拠り所にしていた潤にとって、それを失ったことで病気と向き合えなくなるんじゃないか、と。
いつか翔ちゃんはそう言ってたけど、多分それだけじゃなくて。
きっと…
翔ちゃんもまだ、全てを受け入れきれてないんじゃないかな。
「…ちゃんと、言わなきゃな」
ぽつり呟いた翔ちゃんの、小さな声が届く。
「あいつももう…小学生だしな」
続けたその言葉の後、再び潤へと注がれる視線。
その眼差しがひどく穏やかで、胸をぎゅっと掴まれたような感覚になる。
翔ちゃん…
「…行こう、」
「…ん?」
「行こうよ、会いに」
真っ直ぐ見つめたまま静かに語りかければ、俺の声に反応したその瞳がこちらに向けられて。
「会いに…?」
「うん…お墓参り、行こう」
『みんなで』と呟くと翔ちゃんの瞳がじんわりと潤みだして、それを隠すように勢い良くグラスをぐいっと煽った。
スンと鼻を一啜りして照れ笑う翔ちゃんにつられて、俺もぐすっと鼻を啜ってグラスを傾けて。
「…なに泣いてんの」
「へへっ…もらい泣き」
「俺泣いてねーし」
「…ふふっ」
翔ちゃん…
大丈夫だよ。
俺達がいるから。
一緒に、乗り越えよう。
お互いのグラスにビールを注ぎながら、じわじわと胸に広がるくすぐったくて温かい心地に見合って笑った。