煩悩ラプソディ
第35章 二人三脚/SM
少し押したとは言え、まだ陽が沈む前。
仕事終わりでそのまま迎えに来てくれたものの、翔くんが組んだスケジュールは大幅に狂ってしまったらしい。
多分頭ん中で調整してるよね、今。
隣で黙々と運転に集中する横顔を見遣り、とりあえず暫くは話し掛けるのはよそうと窓の外に視線を移す。
運転するのは好きな方だけど、こうして助手席から眺める景色も悪くない。
カーステから流れる音楽が良い具合に車内を中和してて、会話は無くとも何だか心地良かった。
「…なぁ」
「…ん?」
ふいに呟かれた声に、窓に肘をついたまま答える。
「…怒ってる?」
「え?なんで?」
「いやさっきから何も言わねぇし…」
真っ直ぐ前を向いていた顔がチラリこちらに寄越され、サングラス越しの窺うような眼差しと一瞬だけ目が合って。
「ふふっ、怒ってないよ。なんで?」
「いやだって遅れたしさ…」
「そんなの仕方ないじゃん。ちょっと押しただけでしょ」
「まぁそうだけど…」
やけに歯切れの悪い受け答え。
俺そんなに怒って見える?
そんなのほんの1ミリも思ってないんだけど。
普段から時間にはけっこう厳しいっていうか、この人が分刻みで動いてることは百も承知。
でも今日はそんなの気にしないで良くない?
ましてや俺相手だよ?
もっと気楽にいこうよ。
「ねぇ一個提案していい?」
「…なに?」
「今日は時間のこと気にするの禁止ね」
「は?」
「あ、ついでに時計も見るのやめよっか」
「はぁ?」
聞こえてきたその声色は、もうさっきまでの不穏な様子は消え去っていて。
「今日はなんか時間に追われたくないじゃん。
時の流れに身を任せようよ」
「いやカッコいいこと言ってるつもりだろうけどそれ結構危険じゃね?」
「そう?いいじゃん、夕陽が沈んだら夜だなって。
腹減ったら8時頃かなって」
「ふは、お前の空腹時間知らねーよ!」
肩を揺らして笑い合いながら、こんな他愛もないやり取りを二人きりの空間で出来てることだけでもう幸せ。
まだ目的地に着いてもいないのに、すでに満たされたような感覚。
それもこれも全部、隣の翔くんがもたらしてくれるもので。
フロントガラスには夕焼けで赤く染まった空が映り、そこへ飛び込むように車は首都高を駆け抜けていった。