煩悩ラプソディ
第36章 愛のしるし/AN
沈黙が広い体育館を包み込む。
ビン、と頭上にある大きな時計の長針の音が響いて。
先輩の目が見れない。
何も言わず俺の言葉を待ってくれているのに、何をどう返したらいいのか分からない。
そんなことないですよって、先輩の気のせいじゃないですかって。
いつもみたいに何でもない風を装って躱せばいいのに。
だけど、もう先輩には俺のこんな小芝居なんて見透かされてんだ。
もうごまかせる自信がない。
もう最後の扉を開けられちゃってる。
明日優勝したら言うつもりだったけど…
これは…
今なの…?
ぐるぐると巡る思考の中、手元のボールをただただ見つめるしかなくて。
大きい袖から少しだけ出てるこの丸っこい指。
女子みたいなそれがずっとコンプレックスだったのに、先輩から『可愛い』って言われて今はちょっと好きになってる。
先輩から向けられる俺への言葉や態度に浮かれて、ずっと前向きに捉えてはきたけど。
当たって砕けろなんて思っていても、いざ伝えるとなるとこうも臆病になってしまってる。
俺が気持ちを伝えたら先輩はどんな顔をするんだろう。
足が竦むってこういう状態なのかな、なんてやけに冷静なもう一人の自分が呟く。
するとふいに俯いていた視界の影が動いて。
目を上げれば、先輩が床に座ってバッシュを履こうとしている。
…え?
先輩の意図が分からなくて、ただその様子を見つめていると。
キュッと靴紐を締めて立ち上がりこちらに歩いてくる。
そして抱えていたボールをひょいと取り上げ、唖然とする俺に向かって口を開いた。
「俺がシュート決めたらお前の思ってること言えよ」
「っ…え、」
「その代わりお前も決めたら俺も言うから」
言い終えて真っ直ぐに向けられる瞳。
急に真剣になったその眼差しに胸がざわざわと騒ぎ出して。
先輩が俺に…なにを…?
ダンダンとドリブルの音を響かせ、センターの3ポイントラインに足元を合わせる先輩。
「絶対決めてやるよ」
ニッと笑ってゴールに向き直り、シュートの構えをする真剣な横顔。
間近にあるその表情に思わず見惚れていると、シュッと指の擦れる音と共にボールが離れ。
宣言通り、それは滑らかな弧を描いてゴールネットをスパッと通過した。