煩悩ラプソディ
第38章 ハートはメトロノーム/SM
「あの…」
精一杯絞り出したのに蚊の鳴くような声しか出ず、咳をひとつしてから思い切って顔を上げたら。
っ…
目線の先のその顔は思いがけず優しくて。
更に眉を上げて先を促すように見つめてくる眼差しに、きゅっと胸が苦しくなる。
…なんでそんな顔するんだよ。
せっかく言おうって決めたのに…
翔さんの顔を見てられなくてまた目を逸らす。
もう逃げられないのに。
ここで終わらせないといけないのに。
…言えない。
言いたくないんだ、本当は。
「…松本」
再び訪れていた静寂を打ち消した翔さんの声。
その相変わらずな呼び方に目の奥がじわりと熱くなってきて。
「見当違いだったら申し訳ないんだが…その…
辞めたいと思う理由は私にあるんじゃないのか?」
「っ…」
いつもの淡々とした口調とは違う、どこか窺うような声色。
けれどストレートに核心を突いてきたその言葉にじわじわと視界が滲んでいく。
…そうだよ。
あんたのせいだよ。
翔さんが…
翔さんがっ…
「こんな面と向かってじゃ言えないかもしれないが…」
「……なんで、」
「…ん?」
「なんでですか…」
膝に握った拳が震えてるのが分かった。
そこにポタリと雫が落ちて流れていくのも。
「なんで俺だけっ…認めてくれないんですか!」
衝いて出た言葉は今まで準備していた台詞じゃなくて。
上げた視線の先には驚いて目を見開く顔。
俺だって…こんなに泣きながら本音を曝け出すなんて思ってなかったよ。
でももう止まれそうにない。
胸の中でずっと燻っていた靄を全部吐き出さないと。
…苦しくて苦しくて、息が出来なくなるんだよ。
「俺のこと気に入らないのは分かってます…
でも…他のみんなと明らかに違うじゃないですか!」
「っ…松本、」
「それもだよ!なんで俺だけそう呼ぶんだよ!」
「落ち着きなさい!」
ガタっと椅子の揺れる音と同時に伸びてきた手を反射的に振り払う。
もういいっ…
「…色々言ってすみません。もう…俺辞めますから」
そう呟いて立ち上がり、袖でぐいっと目を擦ってドアへ歩き出そうとした時。
「潤っ…!」
確かに聞こえたその響きは、力強く引かれた衝撃に一瞬で呑み込まれていった。